鶴ケ城 (会津若松市)
会津若松へは雪のある冬に行きたかった。そこには純白な鶴ケ城、飯盛山、日新館などがあるからだ。松平容保(かたもり)や白虎隊に代表される会津人の愚直なまでの実直さを実感したかったからだ。私としては詳しいことは解らないが、飯盛山の博物館には松平容保が京都守護職の頃の忠勤を孝明天皇から内密の宸翰で褒められている。新後の薩長体制では厳しい報復が待っていて、下北半島の斗南藩へ転勤させられた。それは容保が言い訳がましく見えるため天皇からのお墨付きを死ぬまで出さなかったため、といわれている。
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