シェークスピアの故郷:ストラトフォード・アポン・エイボン
シェークスピアの謎
シェークスピアはペンネームで本当の作者の名前は、あの哲学者のフランシス=ベーコンとの説である(ストラト・フォード・アポンエイボンに普通の人間としてのシャークスピアなる人物は実在したが)。
その理由は
@彼の作品には医学、法律、博物学、外国事情などの教養があふれている。両親や娘が文盲だったことを考えるとおかしい。ベーコンは当代きっての知識人だ。
A作品には外国に関する知識が必要で、イギリスから出たことない実在のシャークスピアでは無理。
Bリチャード三世など王制に関する批判が多く、実名でベーコンが出版したのでは、またもや入獄することになる。
C故郷には作家としてのシェークスピアに関する蔵書、エピソードなど全くないそうだ。
Dシェークスピアの種本は多くはイタリアであるがそのような本はいまだ英訳されていなかった。外国語が出来ない実在のシェークスピアでは無理。

しかし、シェークスピアがペンネームであろうが実在者であろうが作品自体は真実なのである。

フランシス=ベーコン(岡山県立玉野光南高等学校の横山さんのインターネットによると)
ヨーロッパ近代哲学の基礎は、当時盛んとなった自然科学の研究方法を哲学的に基礎づけようとしたイギリスのフランシス=ベーコンとフランスのデカルトによって確立され、フランシス=ベーコンを祖とするイギリス経験論とデカルトを祖とする大陸の合理論はヨーロッパ近代哲学の二大潮流となった。

 フランシス=ベーコン(1561〜1626)は、名門に生まれ、13歳でケンブリッジ大学のトリニティーカレッジで学んだが、当時のスコラ哲学的方法に強い不満を抱いた。その後パリに留学し、1584年には下院議員となり、検事総長を経て大法官となり(1618)最高位にまで登りつめたが、汚職のかどですべての官職と地位を追われ(1621)、その後はもっぱら研究と著述に励んだ。主著『新オルガヌム』(1620)において、実験と観察による帰納法を説いて、近代科学の研究方法としての経験論を確立した。

 フランシス=ベーコンは、「知は力なり」といい、人間による自然の支配を学問の目的とした。そして真の知識に至るには、正しい認識の妨げになるイドラ(偏見・先入観)を排除しなければならないと説き(イドラ説)、さらに実験と観察に基づく個々の事実から法則・結論を導き出す帰納法を提唱した。

 具体的・経験的事実が認識の基礎であるとする立場を経験論といい、イギリスで発達した。また帰納法は経験論の基礎となったので、フランシス=ベーコンはイギリス経験論の祖と言われる。イギリス経験論は、その後ロック(1632〜1704)・ヒューム(1711〜76)に継承されていった。


▲舞台のような町並み
街を歩いているといたるところ木の梁がでたチューダー朝の建物があり、既に舞台をみるかのようだ


▲シェークスピアホテルでのディナー  
16世紀のチューダー朝のホテルでのディナーは味わい深いものであった

▲アン・ハサウェイの家
シェークスピアの妻の生家で、茅葺き屋根の家は約400年前のもの。

▲シェークスピアガーデン 名に違わず
我が家の隣の某女学院にも同名の庭があるのだが、全然手入れがされていない。

▲ロイヤル・シェークスピア劇場での観劇
2階の最前列の切符が取れた。出し物は「冬物語」、
飛行機の中で読んでいった。木造のスワン劇場で観劇したかった。

▲シェークスピアの生家
彼は1564年生まれであるが謎の人物といえる。家はその当時としては裕福なつくりであるそうだ。

▲この街はブラリ訪ねたのである。駅前のインフォーメーションでB.Bを紹介されて、行ってみたが何ときれいなことか。朝食も瀟洒な雰囲気であった。

▲セ−ターのショッピング
6月の下旬であったが、雨が降ったときは寒くて寒くてついセーターを買う