大学の成立と目的西欧精神の探求 革新の12世紀 下 堀米・木村・今道友信 NHK出版

ヨーロッパでは王権や教皇権からはなれて真理の探究のため大学は12世紀後半に成立した
ギリシャ時代の学園
ソクラテスの学園、プラトンのアカデミヤ、アリストテレスのリュケイオン、ピュタゴラスの学園などの教育水準は高かったが、あくまでもギリシャ人のための学問である。
スコラ
ラテン語のスコラ:学院は(schola)はギリシャ語のスコレー(σχολ?‐schole)からで今日のスクール(school)になる。初めはフランク王国のカール大帝(シャルマーニュ大帝)により文化を興す目的で作られた。
        宮廷付属学校………………貴族の子弟を教育して有能な官吏の養成
 学院(スコラ) 司教座聖堂の付属学校………有能な僧侶の育成
           修道院の付属学校……………有能な司祭の育成とともに学問研究に専念
                   するような学問僧
の育成

ここでは王室、司教座、修道院に支えられているためリッパな教室、図書館、寄宿寮などが揃っていた。
学んでいた内容は次の七科目:文法、修辞学、弁証法、音楽、算術、貴下、天文。
目的は学問的研究よりは実社会にすぐに役立つ職能的教育である。
その結果:実際的教育が中心なので学問上の真理よりは王や司教の指導方針を重視して教会や修道院の伝統的な教えや解釈を一歩も出ない保守的な人々を養成することになる。

ユニヴァーシティ(University)
 もとはラテン語のウニヴェルジタス(Universitas)はウニ(uni)は「一つ」、ヴェルジタス(versitas)は「一つの方向を持つ」から来ている。そこでウニヴェルジタスは「一つの目的に向かって合体した人々の集まり」と言う意味である。
スコラに対していかなる世俗的干渉からも自由に純粋に学問のみを研究しようと言う気持ちをもった人々が出てきた。
自由な研究をするために誰からも支えられずに自分達だけで学問を研究する団体を作っていこうとする運動が11世紀の後半から起こってきた。その背景はアラビヤ文化の受容や修道院のスコラからの影響からか?中田


     中世ヨーロッパの大学分布図

ボローニア大学:108年または12世紀説あり
パリ大学:1150
オックスフォード大学:1170
ケンブリッジ大学:1209

中国では北宋時代(1086)に王安石が科挙試験で官吏を採用するための試験だけでは不十分で、もっとすぐれた人材を育成する必要があり、そのためには根本から教育をやり直さなければならないと考え、新たに学校を建設した。都に国立大学を建て80棟の寄宿舎に2400人を収容して授業を行った。しかし南宋の時代になると経済的理由から廃れてしまった。自主的大学でないためか

スコラ、マドラサ(イスラムにある神学校の学林)との違い
設備:初めは固有の建物は無い。イタリアでは広場、パリでは街角や人通りの多い橋の上。
    学生達が金を出し合い経済的自衛手段喉が進んで、教師への謝礼のほかに設営費が考えら   れてくると、ようやく一定の部屋を借りてそこを研究の場所とするようになった。
内容:教師がその知的指導力で研究を優位に沖、学生と一つになって教会や王の権威や命令に対   し、真理探究の自由の証として自治的特権や研究生活上の便益を主張するために組合を結   成し、指導的位置に立つようになった。
性格:大学の別名としてストゥディウム・ゼネラーレ(studium generale)、英語では(general study)   になり、「国際的な研究所」と訳される。ここに国際的とは国家的な問題ではなく「人類に   共通な問題を国際的な人々の知的な協力によって真に存在するものを研究する」と   いう意味がこめられている。
大学の自治:大学の自治はただ大学における学問研究の自由を守るためにあるもの。大学の自治   は目的ではなく真理探究のための手段たる学問活動を守る手段で、いわば手段の手段に過   ぎません。それゆえ大学に自治は政治的なイデオロギーなどには全く無関係なものだと言う   ことを私は力説したいと思います。