技術が世界を変えている例を参考文献を元に作成した。ただし火薬、大砲、原子力は未完。今後歴史に影響を与えた科学技術の歴史を充実したい。 | |||||||||||||||||
技術が世界を変える-@(戦車・騎馬) 「馬の世界史」より作成 木村凌二 講談社現代新書 | |||||||||||||||||
項目 | 時期 | 戦争名 | 勝利国 | 敗戦国 | 勝敗の原因 | ||||||||||||
戦車・鉄 | 前20世紀 | ヒッタイト | アナトリア 北シリア | ヒッタイトはミタンニより戦車・馬と取り入れたため、鉄製武器とあわせて支配領域がこれまでに無い広大なものになった。馬は時間・空間の概念を変える | |||||||||||||
戦車・鉄 | 前17世紀 | ヒクソス人 | エジプト | セム系のヒクソスはアーリアン系のミタニンより馬と戦車を学び、エジプトに攻め込んだ。馬による機動性によりエジプトの地理上の有利さが無くなった | |||||||||||||
戦車・鉄 | 前16世紀 | ミタンニ人 | 古バビロニア | 古バビロニアはセム系のアムル人によって前19世紀に築かれ、前18世紀のハンムラビ王のとき威勢を誇ったがミタニンの馬・戦車に敗れた | |||||||||||||
騎馬隊戦車 | 前7世紀 | アッシリア 帝国 | シリア バビロン エジプト |
アッシリアが戦車隊と合わせて、いち早く騎馬戦術を軍事力として組織したため初めて様々の民族を服属させた世界帝国が出来た。馬によってのみ広大な領域を支配が可能になる | |||||||||||||
騎馬隊 | 前6世紀 | ペルシャ帝 ダリウス大王 |
新バビロニア リディアメディアエジプト |
アッシリア帝国は新バビロニア・リディア・メディア・エジプトに分解したがペルシャ人がそれを再統一した。彼らは遊牧騎馬民族かまたはそこから騎馬戦術を習得したからで、強力な騎馬隊があった。しかし騎馬本流のスキタイの北伐に失敗し変わってギリシャを攻めたが敗れた | |||||||||||||
戦車 | 前11世紀 | 周(武王) | 殷 (紂王) |
周は西方辺境にいたため遊牧騎馬民族の技術活用 | |||||||||||||
騎馬 | 前221 | 合掌連衡 | 秦(始皇帝) | 燕、斎、魏、韓、楚、趙 | 秦ははじめ?(エイ)というい夷狄で西方辺境にいた。周王の名馬を献上して寵愛を受け「秦?」と号することを赦される。中原の天下統一は西方の騎馬遊牧民族との接触により世界帝国になった | ||||||||||||
騎馬 | 前200 | 白登山の戦い | 匈奴帝国 (冒頓単于) |
漢の高祖 (劉邦) |
冒頓は匈奴軍を率いて漢帝国に侵入、漢の劉邦も迎撃した。大雪の降る中匈奴軍が退却したので漢軍は追撃した。しかし退却した冒頓は偽装の戦術で劉邦の率いる騎馬兵は包囲された。7日後にやっと脱出したがい五感王朝は歴代の単于に皇女、絹、綿、酒、米を貢納することになった(武帝までの約70年間つづく) | ||||||||||||
騎馬 | 前338 | カイロネイアの戦い | マケドニア (フィリッポス2世) |
アテネ・テーベ連合軍 | アレキサンダー率いるマケドニア軍は2000騎の騎馬隊の一斉攻撃でその日のうちに勝利した | ||||||||||||
騎馬 | イッソスの戦い | アレキサンダ大王 | ダリウスV世(ペルシャ) | アレキサンダーは名馬ブケファロスに乗り5000騎の騎馬隊と3万の歩兵とでペルシャ軍の歩兵60万に勝利 | |||||||||||||
騎馬 | 前216 ポエニ戦争 |
カンナエの戦い | カルタゴ (ハンニバル) |
ローマ | 本拠地で迎え撃つローマ軍は総数76000人うち騎兵が6000騎、これに対してカルタゴ軍は総数50000人であるが騎兵が10,000騎で圧倒的な機動力で勝利 | ||||||||||||
騎馬 | 前202 (同上) |
ザマの戦 | ローマ (スキピオ) |
カルタゴ | 迎え撃つカルタゴ軍は総勢40000人、うち騎兵4000騎。海を渡って来たローマ軍は兵員総数29000人であるが騎兵が6000騎で機動力で勝利 | ||||||||||||
騎馬 | 376年より約100年間 | ゲルマン民族の移動 | フン族 | 東ゴート 西ゴート →ローマ | 漢の武帝などによる北伐により匈奴は追われ、更に鮮卑族が追われ北匈奴が西方に移動。このことが直接又は間接的にゲルマン民族の移動に繋がる。騎馬遊牧民族の変幻自在の攻撃にはゲルマン人は抵抗できない | ||||||||||||
騎馬 | シルクロードの支配 | 突厥 ウイグル |
中央アジアの都市国家 | 唐時代の末期に安全保障と引き換えに銀を突厥に奉納。当初シルクロードの管理はソグド人によっていたがこのような都市国家では長大な地域を支配できない。それに代わってこの交易路の覇権を握ったのは北方の騎馬遊牧民族であった。それは馬を使った軍隊の機動力による | |||||||||||||
騎馬 | 732年 | トゥール・ポワティエの戦 | イスラム | フランク | イスラム軍の優秀な騎馬隊との遭遇はキリスト教勢力に衝撃を与えた。イベリア半島に711年上陸したイスラムは21年間でフランス中部まで席巻。この戦いにより騎士団の成長、封建制の確立 | ||||||||||||
騎馬 | 1066年 | ヘイスティングの戦い | ノルマン人 (フランス) |
アングロ・サクソン (イギリス) |
ノルマン人の騎馬隊はアングロサクソン人を圧倒 | ||||||||||||
騎馬 | 1521年 | スペイン (コルテス) |
アステカ | 兵500人、馬16頭、銃役50丁 | |||||||||||||
騎馬 | 1533年 | スペイン (ピサロ) |
インカ帝国 | 兵180人、馬27頭、銃 | |||||||||||||
技術が世界を変える-A(銃・大砲・船舶) | |||||||||||||||||
大砲と帆船 ヨーロッパの世界性はと技術革新 C・M・チポラ 平凡社 | |||||||||||||||||
火器の誕生とヨーロッパの戦争 バート・S・ホール 平凡社 | |||||||||||||||||
項目 | 時期 | 戦争名 | 勝利国 | 敗戦国 | 勝敗の原因 | ||||||||||||
ギリシャの火 | 672年 | ビザンティン帝国 | オスマントルコ | 330年にコンスタンティのポリスが首都になって以来1453年コンスタンティノス11世が戦死するまで1123年間も帝国を維持してきたのは門外不出のギリシャの火と三重の壁があったから。 | |||||||||||||
弩(いしゆみ) | 紀元前500〜400頃中国とヨーロッパで使用開始 | ||||||||||||||||
長弓 | |||||||||||||||||
投石機 | |||||||||||||||||
火器 | 1419より | フス戦争 | ヤン・ジシカ | ボヘミヤ王 | 火器が重要な役目を果たした最初の戦争。神学者フスを異端のかどで火刑したのに端を発して反乱が起きた。防御戦術と機動性という矛盾した要求を「車両要塞」で解決した。即ち火器を使用した後の危険を移動城壁により護った | ||||||||||||
射石砲 | 百年戦争 | フランス | イギリス | ||||||||||||||
1449/10 | ルーアン包囲 | ビューロー兄弟 | ルーアン・フォルミニー・シェルブール・カーン・カレー・ボルドーと次々にイギリス領のノルマンディー都市を陥落させた。これにより約300年間にわたるイングランドの支配はほぼ終了した | ||||||||||||||
1450/04 | フォルミニー ビューロー兄弟 | ||||||||||||||||
1451/6 | ボルドー | ビューロー兄弟 | |||||||||||||||
大砲 (ブルゴーニューの改良型) | 1492 | レコンキスタ(ロンダ・グラナダ) | スペイン アラゴン/フェルディナンドトカスティリヤ/イサベラの結婚 | イスラム | イベリア半島でキリスト教勢力はコルドバ(1236年)、セビリヤ(1248年)と比較的早くに失地回復を果たしていた。しかしイスラム勢力の最後の拠点であるグラナダが陥落したのは約250年も後の1492年である。このような、長きにわたった戦いを決着させたのは大砲によるものだった。もしこの時期において決着しなかったならば現在のバルカン半島のようにモザイク国家が出来たかもしれない。1479年は4人の砲手が、1482は65人、1485は91人にもなった。 | ||||||||||||
大砲 | 1494〜1559年 | イタリア戦争 | フランス | イタリア | フランス軍は青銅だけで作られたはるかに扱いやすい大砲を開発した。また砲丸は以前の石から鉄になった。などの改良によって以前なら城を落すのに数日掛かるところをを二、三時間だできるようになった。 | ||||||||||||
火薬が戦争に使われだしたのは1331年チヴィダーレ攻城戦、1346年のクレシーの戦いと言われている。しかしその影響が大きくなるには約200年を要した。平気や技術は、ただ性能的にすぐれているからというだけで即座に採用され普及するのではない、そこには必ず偶発的な要素が強く働いている。一本道の直線的な進化論は成立しない。新旧の技術は、主気を境に、明確に入れ替わるのではなく、両者が混在しともに使われる時期が必ず存在する。よって中国では火薬が1000年頃?から存在していても、ヨーロッパのように、常に各国間での戦争がなければ改良が重ねられず、実用に耐えるシステムにならなかった。このことは他の科学技術にも言えることで常に戦争があって始めて競争が発生する。中国は領土こそヨーロッパに匹敵するが専制皇帝に支配するところでは研究、改良の目が育たない。 | |||||||||||||||||
船舶・印刷 | |||||||||||||||||
1588 | マルマダ海戦 | イギリス | スペイン | ||||||||||||||
1618から1648 30年戦争 | |||||||||||||||||
1805 | トラファルガーの海戦 | ||||||||||||||||
1853〜1856 | クリミヤ戦争 | オスマントルコ | ロシア | ||||||||||||||
金融 原子爆弾 石油 | |||||||||||||||||
銃 | 1573年 | 長篠の合戦 | 織田信長 | 武田勝頼 | 信長の斉射戦法により充填時間の長さを補った | ||||||||||||
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