科学技術が世界を変える
クラウゼウィッツ曰く「戦争とは、政治思想を別種の書き方または言語で表したものにすぎないのではないか?それは実際独自の文法を持っているが、理論は独自のものではない
フランシス・ベーコンは1620年の著書で火薬と羅針盤と印刷機は「世界全体の姿と状態を変化させた」と指摘している
アダム・スミス『昔は裕福で文明化した民族が、貧し野蛮な民族から身を守るのを困難に感じたが、近年は貧しく野蛮な民族が、裕福で文明化した民族から身を護るのを困難に感じている』。
このアダム・スミスの言葉で「文明化」を技術化とすれば歴史の変換のドライブフォースとして科学技術が重要であることが解る。以下に世界史的視点で科学技術の影響について俯瞰してみる。
前半の「昔は裕福で文明化した民族が、貧しい野蛮な民族から身を護るのを困難に感じた」の部分は主として騎馬遊牧民が都市を建設している農耕民族を襲撃していることを示している。例えば
中国では漢人による帝国が数百年続くと国民は軟弱な精神になり、軍隊の価値が下がり、王朝、官僚、国民が退廃的な精神になり、北方西方の遊牧騎馬民族との戦いに敗れる。しかし騎馬民族王朝も次第に中国化(漢化)して再び漢民族が王朝を立てる。ここで大切なのは単なる遊牧民族ではなく馬という迅速で強力な武器をもった騎馬民族である。
遊牧民 →漢人 →遊牧民 →漢人 →遊牧民 →漢人 →遊牧民 →漢人
秦 漢 隋・唐 宋 元 明 清 中華人民共和国
一方ヨーロッパについては黒海周辺にいたゴート人は、その北東からのフン人(遊牧騎馬民族)に攻撃された時は遊牧騎馬民族の影響を受けた。しかしその後の歴史においてはヨーロッパは基本的にゲルマン人の支配下に置かれ、中国のように度重なる遊牧騎馬民族の影響は受けない。その理由は地理的にヨーロッパは直接に牧畜に必要な平原に接触していないこと。ゲルマン人は複数の部族が競争的並立状態で中国の遊牧民族のように多数民族に溶け込み消滅することがなかったからか?
ケルト人→ラテン人(ローマ) → ゲルマン人 フランク人(フランス・ドイツ)
↑フン族(遊牧民) アングロ・サクソン人(イギリス)
ノルマン人(フランス・シチリア
ヴァンダル人(イタリア)
ゴート人(スペイン)
後半の「近年は貧しく野蛮な民族が、裕福で文明化した民族から身を護るのを困難に感じている」も部分は中世の科学技術の進歩の恩恵の一部である。ヨーロッパは大砲、船舶(動く要塞)で植民地を作り金銀を収奪し、奴隷貿易で富を得、産業革命で非ヨーロッパの国々の産業を奪い、近代の装置産業ではコスト、性能が圧倒的に有利でまるで競争にならなくアジア・アフリカ・アメリカ大陸の大半の国は貧困にあえいでいる。
以下に技術的な開発が歴史を変えた例を示す
・遊牧騎馬民族による:戦車・騎馬による機動力
・ヨーロッパによる :銃・大砲・船舶・産業革命による工業
尚戦車は、世界史の舞台に登場した最初の複雑な武器といはれている。その理由は車両の管理馬の制 御を専業とする戦士の育成には、長い時間と多額の費用が必要とされたからである。
東西における遊牧民と農耕帝国の拮抗関係
前一千年前半のユーラシア西方世界には、先ずアッシリア帝国の興亡があり、それに続いてペルシャ帝国が興隆した。これら二つの世界帝国の形成に当たって、西アジアの北方に現れた騎馬遊牧民の脅威は殷に用に、多大の影響を及した。別の見方をすれば、騎馬遊牧民と言う衝撃に対抗して、強力な軍事力を持つ世界帝国が姿をあらわしたともいえる。同様なことが中国においても匈奴が勢いを増すことによって漢帝国が出来、それによって匈奴帝国が成立する。
中国では何故銃・大砲が発達しなかったのか(ヨーロッパでも火器の成立に約200年を要している) |