ヨーロッパの封建制と身分制議会の成立
ヨーロッパ固有の封建制により身分制議会が13世紀に成立する ⇒ 平等、自由
前提:再興されたローマ帝国はヨーロッパの個別国家に先行する
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@封建社会は国境に遮られることがないので、国際的な契約になり独立性が強い
例えば
・フランドル伯領はドイツの神聖ローマ皇帝とフランスから知行してもらっている
・イギリスの征服王朝ウイリアムス王はフランス領においてはカペー王家の封建家臣
・騎士によっては60人から知行を得ていた例もある(日本の場合は忠臣二君にまみえず)
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中央集権化に伴い矛盾の整理が必要になる ⇒百年戦争
A権力と権威の並立
権威 権力
国王 ←契 約→ 封建諸侯
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ローマ教皇
上記@Aより封建諸侯の独立性が強い
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西欧型政治原理の発生=身分制議会の誕生
12世紀からのヨーロッパでは王権の巨大化を恐れた大商人が貴族、聖職者と組み、王の課税権を 承認する代わりに政治的発言権を獲得していった。
フランス:エタ・ジェネロー(三部会)
ドイツ :国(形式的)ではライヒスター(帝国議会)
諸候国ではシュテンデ(身分制議会)
スペイン:コルテス(身分制議会)
イギリス:パーラメント(模範議会)
イギリスは集権的封建制(征服王朝のため)ローマ法と
伝統的なイギリス法によるコモンローをつくっていった
イギリスとフランスの身分制議会の成立背景
イギリス:12世紀後半のプランタジネット朝時代から王権が強くなったが、13世紀のジョン王は失政のためヨーロッパ大陸に持っていた領土を失い、国民の支持を失った。1215年ジョン王は貴族の批判に譲歩し、課税には貴族の同意を得ることなど、王権を制限する大憲章(マグナカルタ)を発令した。しかし次の王のヘンリー3世がこれを無視したため、貴族のシモン・ド・モンフォールらが反乱を起こす。国王軍は敗れ、1265年聖職者・貴族・各州からの騎士、自由都市の代表者からなるモンフォール議会が成立した。その後1295年モンフォール議会のメンバーに全ての都市の代表者も加わり、模範議会が召集された。
フランス:フィリップ4世が教皇ボニファティウス8世と教会料課税問題で争った際、国民に支持を取り付けて王権を強化するために、1302年国王は聖職者、貴族、都市の代表をパリに召集した。これが三部会である。その後教皇は捕まり獄死し、以後教皇庁はアビニヨンに70年間移される。