イエスの神格化についての考察
当章は今西正次郎氏の「聖書の誤り」光文社を表にして分類した。
この本のタイトルは刺激的であるが中身は驚くほど斬新な解釈である。氏は憶測を交えず文章間の矛盾を指摘し、氏の解釈をしておられる。キリスト教について門外漢の私にはその内容が正しいものかどうか解らないが、相当部分の主張は正鵠を得ているのではないでしょうか。今西氏のように膨大な聖書を整理してから読んでみればより理解しやすくなると思われる。このような客観的な解釈が出来るのはキリスト教文明にどっぷり浸かっていない日本だからこそ可能なのではないか。
項目 記載内容 記載者 解説
イエスの奇跡 1 病人を癒す
@ 人々がイエスのところへ、いろいろの病気に苦しむ者、悪霊に取り付かれたもの、癲癇の者、中風の者、などあらゆる病人を連れてきたので、これらの人々を癒された。 マタイ   
4−23、 
24

優秀な医者か

A イエスが山から下りられると、大勢の群衆が従った。すると一人の皮膚病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。 マタイ   8−1〜3
B イエス地面に唾をし、つばで土をこねてその人の目にお塗りになった。そしてシロアムの池に行って洗いなさい」と言われた。そこで彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰ってきた  ヨハネ   9−6,7
C 百人隊長に言われた。「帰りなさいあなたが信じたようになるように。」ちょうどそのとき僕の病気は癒された。 マタイ    8−5〜13 単なる医療ではない
D イエスはその人や地の信仰を見て、「人よあなたの罪は赦された」と言われた。………そして、中風の人に、「私はあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」といわれた。その人はすぐにみなの前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。人々はみな大変驚き、神を賛美し始めた。 ルカ     5−18〜26 病人は罪人か
E さてイエスは通リすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 ヨハネ   9−1〜3
2 死者を生き返らせる @ 一行は会堂長の家に着いた。「なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」……イエスは子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ私はあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐ起き上がって、歩き出した。 マルコ   5−22〜42 仮死状態の人を起こしたともいえる
A ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。………主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」といわれた。と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よあなたに言う。おきなさい」と言われた。すると死人は起き上がってものを言い始めた。 ルカ   
7−12〜15
B 人々が石をとりのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ私の願いを聞いてくださることを感謝します。私の願いをいつも聞いてくださることを、私は知っています………」こう言ってから「ラザロ出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「解いてやって、行かせなさい」といわれた。 ヨハネ 
11−38〜44
3 食物を与える @ 「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは「それをここに持って来なさい」と言い、群集には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群集に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして残ったパンの屑を集めると、12の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が5000人ほどであった。 マタイ  14ー14〜21
A イエスは、「それをくんで宴会の世話役のところへ持っていきなさい」と言われた。召使たちは運んでいった。世話役はブドウ酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召使たちは知っていたが、世話役は知らなかった………   (水をブドウ酒に変える) ヨハネ  
2−1〜9
4 湖を歩く @ イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは船から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気が付いて怖くなり、沈みかけたので、「主よ助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が船に乗り込むと、風は静まった。 マタイ  14ー25〜32
イエスの奇跡 5 奇跡を弟子に伝授する @ ペトロは言った。「私には金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエスキリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして右手を取って彼を立ち上がらせた。するとたちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして歩き回ったりして神を賛美し……… 使徒  
3−1〜8
*伝授できるならば、奇跡は技術か*後世の教会の権威付け
A 使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。………多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人の誰かにかかるようにした。またエルサレム付近の町からも、群衆が病人や穢れた霊にに悩まされている人々を連れて集まってきたが、一人残らず癒してもらった。 使徒 
5−12〜16
B ぺトロは………中風で8年前から床についていたアイネアという人に会った。ペトロが、「アイネア、イエス・キリストが癒してくださる。起きなさい。自分で床を整えなさい」と言うと、アイネはすぐ起き上がった。 使徒   
9−32〜34
C ペトロが皆を外に呼び出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ起きなさい」と言うと、彼女は目を開きペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸してたたせた。そして聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。 使徒   
9−36〜41
死者をも生き返らせるか
イエスの予言 1 三日後の復活の予言 @ このときから、イエスはご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭祀長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日後に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。 マタイ  
16−21
2 再臨の予言 @ 人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 マタイ  
25−31
A 大司祭は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。おまえは神の子、メシアなのか。」イエスは言われた。「それはあなたが言ったことです。しかし私は言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗ってくるのを見る。」        マタイ  
26−63.64
3 終末 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなた方はこれらの物に見とれているが、ひとつの石も崩さずに他の石の上に残ることのない日がくる。」 ルカ   
21−5.6
ユダヤによる最後の抵抗が失敗して神殿が破壊された後に作られたのでは状況目的
4 再臨
5 裁く
神と民の仲立ちとしてのイエスの位置付け 旧約聖書での基本 神⇔預言者(モーゼ)⇔天使⇔民                 「私は彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口に私の言葉を授ける」
再臨前 神⇔イエス(半神半人)⇔聖霊⇔預言者⇔天使⇔民 割り込み
@ 「……弁護者、すなわち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え……」 ヨハネ   14−26 私が父に頼んで聖霊を遣わしあなた方の願いを聞いてやる
A 「私が父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来る時、その方が私について証をなさるはずである。」 ヨハネ   15−26
B 「……実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたのためになる。私が去っていかなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。」 ヨハネ   16−7,8
再臨後? @ 「あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。 ヨハネ   17−2 天地の権能を神から授かった?
A 「また、父は誰をも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が、父を慕うように、子をも慕うようになるためである。……」 ヨハネ  
5ー22,23
最後の審判の権限がある
B 「私は自分では何も出来ない。ただ父から聞くままに裁く。私の裁きは正しい。私は自分の意志ではなく、私をお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」 ヨハネ    5−30 父の権限の利用
C 「誰の罪でも、あなた方が許せば、その罪は許される。誰の罪でも、あなた方が赦さなければ、赦されないまま残る。」 ヨハネ   20−23 裁きの権能を弟子に与える
@ 〈イエスは言われた。〈私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことが出来ない。」〉 ヨハネ  
14‐6
・イエスを通さなければ救われないのか 
・弟子を通しても救われる装置にした
A 〈〈……私の名によって父に願う者は何でも与えられるようにと、私があなた方を任命したのである。」〉 ヨハネ  
15‐16
B 〈「……はっきり言っておく。あなた方が私の名によって何かを父に願うのであれば、父はお与えになる。」〉 ヨハネ  
16‐26,27
C 〈「私の名によって願うことは、何でも叶えてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。私の名によって何かを願うならば、私が叶えてあげよう。」〉 ヨハネ  14-13,14
イエスの挫折 イエスが神の子であることを拒む @ 〈イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなた達の内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲むものは、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。私の肉は真の食べ物、私の血は真の飲み物だからである。私の肉を食べ、私の血を飲むものは、いつも私の内におり、私もまたいつもその人の内にいる。」〉 ヨハネ  6-53〜56 多くの弟子がイエスを去る。 
その理由は    @イエスが神の子であることを拒む〈ユダヤ人たちは答えた。「……神を冒涜したからだ。あなたは人間なのに自分を神としているからだ。」〉 (ヨハネ10‐32)  Aイエスがメシアであることを拒む
*〈……弟子達の多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。誰がこんなにひどい話を聞いていられようか。」〉   ヨハネ  6−60
*〈このために、弟子達の多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。〉 ヨハネ  6−66
*〈このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。預言者イザヤの言葉が実現するためであった。……〉 ヨハネ  12‐37,38
イエスがメシアであることを拒んだため A イエスはメシアであることを拒む
*ユダヤ人たちはイエスを取り囲んで言った。〈いつまで、私達に気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」〉 ヨハネ 
10‐24 
*〈「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民の全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、私達の祭司長たちや議員たちは、死刑にするために引き渡して、十字架につけてしまったのです。私達は、あの方こそイスラエルを開放してくださると望みをかけていました。……」〉 ルカ   
24‐19〜21
*〈さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直して下さるのは、この時ですか〉と尋ねた。〉 使徒    1−6
*〈イエスは言われた。「父がご自分の権威を持ってお定めになった時や時期は、あなた方の知るところではない……」〉 使徒    1−7
十字架での最期 イエス絶望の死 @ 〈三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」意味は「わが神、わが神なぜ私をお見捨てになったのですか」             〈……イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。〉 マタイ  
27−46  27‐50
大声で叫ぶ、絶望での死
A マルコ  
イエス満足の死 @ 〈イエスは大声で叫ばれた。〈父よ、私の霊を御手にゆだねます。」 ルカ   
23‐46
深い達成感での死
A 〈その後、イエスは全てのことがいまや成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。……〉                      〈イエスは、ぶどう酒を受け取ると、〈成し遂げられた〉と言い、頭を垂れて息を引き取られた。〉 ヨハネ  
19‐28  
19−30
十字架の意味 @ 〈……神は、キリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちにゆだねられたのです。〉 コリント
2 5−19
A 〈……神がキリストによってあなた方を赦して下さった……〉 エフェソ  4−32
B 〈……十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました……〉 ペトロ1  
2−24
C 〈……神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。……〉 ヨハネ1  
4−10
罪が生贄によって赦されるとは:罪を犯した者が悔い改め、生贄をささげて赦しを乞う、そして、神は赦す、という過程になる。しかしイエスの「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」の説明がつかない *民は悔い改めたのか? 
*神が民の変わりに生贄を用意したと言うのか?  
*ユダやピラトは神の与えた役者なのか?
ユダの絶望 信念で行動してきた者が金に手を出すには信念が崩壊していた @ 〈……イスカリオテノユダという者が、祭司長達の所に行き、「あの男をあなた達に引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで彼らは銀30枚を支払うことにした。〉 マタイ  
26−14,15
説教者はユダによる密告がなくともすぐ判る筈
A 〈……イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を妻子長たちや長老達に返そうとして、「私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。〉 マタイ  
27−3〜5
イエスはメシアとしてイスラエルの政治的開放をしないことが判った
B
パウロ教 パウロの回心 〈……サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の回りを照らした。サウロ地ちに倒れ、「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしはあなたが迫害しているイエスである。……」〉 使徒    9−3〜5
異邦人への宣教 〈「……主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」〉 使徒    22−21 昇天後にイエスが人間に直接メッセージすることはありえない
〈……キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰ははむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。〉 コリント
1 15−17
        
弟子は最期までイエスを信じない フィリポの質問 @ 〈「主よ、私達に御父をお示しくだ再。そうすれば満足できます」……〉 ヨハネ  
14−8
最期の晩餐でユダが席をたった後にでも
A 〈「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見たものは、父を見たのだ。なぜ『わたしに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。」……〉 ヨハネ  
14−9,10
モーゼのときはイスラエルの神は民の前に現れ奇跡を行ったたのではないか、メシアなら現わせよ
別のユダの質問 B 〈「 主よ、わたしたちには、御自分を現そうとなさるのに」世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」〉 ヨハネ  
14−22
イエスの内弁慶を衝いている
C
最期の晩餐でやっと信じる D 〈「弟子達は言った。今ははっきりとお話になり、少しもたとえを用いられません。あなたがなんでもご存知で、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたがかみのもとから来られたと、わたしたちは信じます。」〉 ヨハネ  
16−29,30
〈……このとき、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。〉 マタイ  
26−56
ペトロのみ残るが 〈そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〈今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。……」……するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしはけっしてつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」〉 マタイ  
26−31〜34
やはり裏切る 〈……するとすぐ、鶏が鳴いた。ぺとろは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知ないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。〉 マタイ  
26−74〜75
イエスの処刑場に行かず 激しく泣いたのに
墓も見ず
遺骸も引き取らず
復活を信じない
神がイエスを遣わした理由 神はイエスに何を託したか
民はイエスに何を期待したか
律法を守らせる 〈「私が来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。全てのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。」〉 マタイ   5−17,18
イスラエル人の救済 〈「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」……」 マタイ  
15−24
イエスの説法の手法 @ 目には目を、歯には歯を 〈「あなた方も聞いてる通、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。」〉 マタイ   5−38〜42 旧約聖書にも〈復讐してはならない〉あり レビ 19−18 同じ共同体でのこと
A 隣人を愛し、敵を憎め 〈「 あなた方も聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」〉 マタイ   5−43.44 旧約聖書にも〈民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。私は主である。〉レビ19-18
B 人はパンだけで生きるものではない 神の子なら石ころをパンにしてみよとの悪魔の挑発にたいして 〈「『人はパンだけで生きるものではない。神ノ口から出る一つ一つの言葉で生きている』と書いてある。」〉 マタイ   4−4 メシアとしてローマ帝国支配化で律法をどう守るか、を答えなければダメである。頓知で切り抜けたのでは、イエスの答えを聞いた者たちは一人、また一人と去り、最後に女とイエスだけが取り残される、ことになる。
C この神殿を壊してみよ 神殿の境内で露天商たちを手荒に追い払って、人々から、それだけのことをするならしるしを見せよとすごまれたときに〈イエスは答えて言われた。〈この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」〉 ヨハネ   2−19
D あなたたちの中で罪を犯したことのないもの 姦通の現場手で捕らえられた女を連れてきて、イスラエルの律法により石で打ち殺すのか、ローマの法律下なので殺してわならないのかの挑発に対して。〈……イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことの無い者が、まず、この女に石を投げなさい。」〉 ヨハネ   8−7
E 皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい 〈……皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしようか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試層とするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持って来ると、イエスは、「これは誰の肖像と銘か」と言われた。「では、皇帝のもは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。〉 マタイ  22−
17〜22
皇帝の領域と神の領域があることは、常に外国の支配下にある民は知っている、問題はその境界線の考え方である。メシアと称するならば、まじめに答えなければならない