聖書の構成に関する資料と再評価 1.聖書の構成の背景 0 10年 20年 30年 40年 50年 60年 70年 80年 90年 100年 @「死海文書」 1945年死海のほとりクムラン洞窟で発見. この資料の本質は洗礼者ヨハネが属していたであろうエッセネ派についての資料 イエスがヨハネの殉教の後、独立したと仮定すれば、この資料からキリスト教の背景がわかる。 A32年イエス殉教後、初期キリスト教教団の動向 各グループごとにイエスの伝承が流布される トマス福音書は現在確認できる最古の福音書との説もある 66〜70年 ユダヤの反乱、民族離散 民族意識の高揚→伝承のまとめ B聖書からコアであるQ資料の抽出、この結果からキリスト教の本質に迫る 未確認の福音書(Q資料)の位置づけ:Q資料は直接読むことが出来る四福音書より古い。しかし現時点では発見されていないが、他にも多くの福音書があった、と考えられる。 備考)トマス福音書はマック説はQの変形 Cトマスの福音書の発見と再評価 トマスの福音書は上記のQ→Q2→Q3→トマス福音書という説とAのように最古の福音書との説がある。 装飾の少ない(最古と思われる)福音書の研究により、異端の再評価が必要と考える(当時異端となったグループの信ずる福音書を現代の価値基準での再評価)。尚、トマス福音書写本は1947年エジプトのナグ・ハマディーで発見。単性論のコプト派による修道院のケノボスキオンに近い事は興味深い。 2.正統・異端の歴史と再評価 @313年コンスッタンティヌスミラノの勅令でキリスト教の公認 A324年帝国の統一 B325年ニケーアの公会議でイエスを神の子と認める(やがて三位一体説が生まれる)。アナタシュウス派が正当でアリウス派は異端となる。異端となったアリウス派は北方ゲルマン人が改宗した。しかしクロービスは正統派のアナタシウス派に改宗し たためフランク王国がヨーロッパの中心勢力になった。三位一体説:父なる神と子なるキリスト及び精霊は三つの形をしているが同じである。 C392年テオドシュウス帝キリスト教を国教とする D395年ローマ帝国の分裂 E431エフェソスの公会議でネストリウス派を異端とした ⇒ 中国で景教 ネストリウス(?〜451頃)は、イエスと聖母マリアの神性説に反対し、イエスについては神・人両性説をマリアについては非聖母説を唱え、異端を宣告され、国外追放となった。彼の説はササン朝ペルシアを経て唐代の中国に伝わり、景教と呼ばれ栄えた。 F451年カルケドン公会議で単性論派異端 ⇒ エジプトに逃れコプト派に(トマスの福音書写本) G476西ローマ帝国の滅亡 Hカタリ派に対するアルビジョワ十字軍の掃討作戦 アルビジョア十字軍は、カタリ派の軍事掃討の他に、トゥールーズを中心とした南仏連合国家(ラングドック・ルーション;オック語の国)が北フランス(オイル語の国)に併合される事を意味するからだ。なお、アルビジョア派の軍事拠点であったモンセギュール砦は太陽信仰の神殿であるとの仮説が面白い。 |