「死海文書」とは
衝撃的な発見で、キリスト教の根幹に触れることなので、この文書に関する本やネット情報はたくさんありそれぞれの意見が書かれています。内容は紀元前後の約100年間に書かれたもので、直接にイエスのことは書かれていないらしいが、洗礼者ヨハネとの関係も深いようで問題の文書である。現時点では断定的に考えずに、いろいろの考え方を羅列してみることしか出来ません。(ネットの死海文書の封印を解く、死海文書の真実、末尾に示した本より)
1、発見の経過
@1947年春、死海の西側クムラン地区で、アラブ系遊牧民ベドウィン族の羊飼いの少年たちが迷い込んだ羊を追いかけて、とある洞窟に入り、そこで古い壺を見つけた。壺の中には、埃をかぶった古い羊皮紙の巻き物が入っていた。
A少年たちは巻き物7巻を持ち出し、エルサレム南東7kmのベツレヘムの定期市に、巻き物3巻と壺を古物商に持ち込み、キリスト教の一宗派であるシリア正教のサムエル大主教に売却した。
B残りの4巻をめぐって考古学教授だ、大主教、イスラエルの独立、だとかでごたごたしたが7巻が紆余曲折を経て、しまいに全部イスラエルに渡った。その後、イスラエルはアメリカとの協力のもと、これら7巻の資料や写真を公開。
D一方、クムラン洞窟を領有するヨルダン政府は、この地区の調査を進めていき、現在までに11の洞窟から 870点以上の古文書を発掘しています。1954年に国際研究チームを結成し、これらの解読作業に従事させましたが、その発表は遅れに遅れ、時が立つに従って各方面から批判の声が高くなり、果ては、キリスト教にとって重大で危険な秘密があるため、バチカン陰謀説まで出た。
2、死海文書(クムラン文書)の内容
ユダヤ教聖典、旧約聖書写本、クムラン洞窟を拠点にしていた共同体ヤハド関係文書に分類され、80%はヘブライ語、20%にアラム語が使われており、書かれた時期の多くは紀元前後約 100年間、つまりイエス・キリスト登場前夜です。
@「旧約聖書の写本」の部分
旧約聖書全24巻中23巻の内容が発見。これまでのものより約1000年以上も歴史をさかのぼる写本が登場した。
Aユダヤ共同体憲章
初期のキリスト教団との関連を物語る重要文書だと言われているわ。多くの洞窟で発見されており最重要文書。
内容はヤハドと言われるユダヤの集団規律。問題はこのヤハドが初期キリスト教団と多くの類似点があり、キリスト教発生の原点では無いかとの説が多いようだ。
B銅の巻物
銅板に書かれているために宝のありかが書いてあったのではないかとも言われる。
A戦いの巻物
終末論(この世は罪の為に終末を迎え、メシアが現れて最後の審判をした後、永遠に至福の時代が到来する)が書かれていて具体的には「光の子たち」と「闇の子たち」が神の計画通りに最終戦争を戦い、のべ40年間に渡って戦いは続き、光、闇、共に3回づつ勝利し、最終の7回目の戦争で「神の手」の介入により、光の子たちの力が増大し、彼等に最終的な勝利がやってきて、ついに永遠の平和と光り輝くイスラエルの時代がもたらされる。となる
3、問題の死海文書とキリスト教の接点
問題はここである。この自称ヤハドの集団(エッセネ派)は原始キリスト教の母体ではないかという見方が非常に強くなってきた。というのは、死海文書に見られるこの宗派の教義、沐浴もしくは洗礼などの信仰形式、共同体生活のあり方、そして教義に使われる語句までが、非常によく一致してい。つまり、イエス・キリストはこの宗派に属していた可能性が高いことが考えられる。また、ヨルダン川でイエスに洗礼を施した聖ヨハネも、この宗派に属していた可能性が高い。一方イエスはヨハネに洗礼を受けているが、大工の息子がいきなり30歳で独立して宣教するのも唐突であり、さらにユダヤの神官をやり込めたりする。しかしイエスがこのクムラン洞窟の禁欲集団ヤハドに属していれば納得がいく話だ。
私はキリスト教はユダヤ教の伝統の元に生まれたのだから当然のことと考えるが、キリスト教の教えが唯一絶対であると考える人から見れば、こともあろうにイエスを殺したユダヤ教と繋がっている、なんてとんでもないと考える人もいる。
@文章そのものの類似点
●有名な「山上の説教」での例
・マタイによる福音書5:5「柔和な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ」
・クムラン共同体は旧約の詩篇7:11「柔和なものは地を継ぎ、豊かな平和のうちに楽しむであろう」を受けて注釈をしている。「解釈:これは貧しい者たちの集まりに関する………」
●心の貧しい人々での例
・マタイによる福音書D:B「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」
・クムラン共同体・戦いの巻物「心の貧しい者たちの間には、力がある………」
●完全と言う考え方での例
・マタイによる福音者5:48「だから、あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全なものとなりなさい」
・クムラン共同体:「神に命じられたように完全な路を歩む者たち」
●捨てた石での例
・マタイによる福音書21:42「聖書にはこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てるものの捨てた石、これが隅の親石となった』」
・クムラン共同体「共同体の会議では………あの試みられた壁、あの貴い隅の親石になるであろう」またさらにクムラン文書とパウロの使徒言行録との呼応の例もある(死海文書の謎189P)
A文章以外の類似点(教義、組織、典礼など)
古代ユダヤ教、初期キリスト教のさまざまな習慣にも一致する点が多い。
●最高幹部評議会がいづれも12名で組織されている
●儀礼式沐浴(洗礼)がおこなられている
新参の信者は「かれを真理に結びつける聖霊によって、その全ての罪から清められなければならない………そして彼の肉が、清めの水が注がれ、洗い清める水によって聖化されるとき、自らの魂を神の全ての規則に心低く従うことによってきよくされる」とある
●信徒の財産がすべて共有されている
●共同でとる食事には霊的な意味があり、パンとワインには深い意義がある
最後の晩餐では「彼らはみな一緒に、パンと新しいぶどう酒に預かるために、同じ食卓につく。パンが用意され、ぶどう酒が注がれたら祭司より先にパンの上に手を伸ばして祝福してはならない。………毎回必ず、食事に先がけて行われなければならない神の法則である」
●一日の始まりを日の出とする(他派は日没からのトコロも多い)
●太陽暦を使っている(他の多くは太陰暦)
●自分たちの集まるところが神殿であるとされてい
4、真実のいんぺいは(文書隠蔽)
この死海文書が見つかった後に研究をしたのがヨルダン政府の研究機関だった。発見から20数年に渡って、たった10数人の研究者のみでこの死海文書が独占されていた。そして、初期の研究者達のほとんどが「キリスト教徒」だった。ユダヤ教の書物を研究するのに、キリスト教徒の研究者しかいなかったことで公正さを欠いている、とも言われているようだ。