修道院などによる教会改革運動
教会粛清運動の背景:多くの領主が、来世での救済を願って土地を寄進したので、教会や修道院は広大な所領(荘園)を所有するようになり、大司教や修道院長らは支配階級として、政治的にも大諸侯に匹敵する力を持つようになった。また、封建社会の発展にともない、ローマ=カトリック教会内にも、教皇を頂点とし大司教・司教・司祭と続く聖職者の階層制度が生まれ、修道院でも修道院長を頂点とする序列が出来た。
教会や修道院が広大な荘園を持ち、そこから得られる税収入や、信者からの寄進・賽銭・供物などによって経済的に豊かになるにつれて、教会の世俗化・聖職者の腐敗・堕落が大きな問題となってきた。
当時のヨーロッパでは、いかなる建造物も、それが建てられている土地の所有者に帰属する、教会や修道院を管理する権限も、その土地の所有者に属すべきであるという考え方があった。従って司教や修道院長の任命権(聖職者叙任権)や教会や修道院の財産管理権も世俗の支配者(国王や諸侯)が握っていた。聖職者叙任権を世俗の支配者が握っていたことが教会や聖職者の腐敗・堕落の根本的な原因であった。
クリュニー修道院:910年にアキテーヌ公が、その所領であるフランス東部のクリュニーに建設した修道院である。クリュニー修道院は、あらゆる世俗権力の支配から自由であること、修道院長の選挙は自由に行われることなどの権利をフランス王・教皇の特許状で獲得し、ベネディクト戒律を厳格に励行、し、典礼(祈り)と読書・研究などの知的活動に励んだ。 「ベネディクトへ帰れ」を基本とし、厳格な修行に励むクリュニー修道院の名は、当時多くの教会や修道院が腐敗・堕落していた西ヨーロッパの宗教界に新風を吹き込み、その名声がヨーロッパ中に広まり、多くの人々がクリュニー修道院で学び、その中から多くの優れた人材が生み出された。各地の国王や諸侯は資財を寄進して、クリュニーの支修道院をつくり、その会則を取り入れたため、最盛期の12世紀初めには約1500の分院を擁するヨーロッパ第1の修道会に発展した。しかし、広大な荘園の寄進や賽銭などで経済的に豊かになるにつれて修道院の腐敗・堕落が進んだ。これに代わってでてきたのがシトー派修道院である。巨大化・絢爛豪華の修道院に対して聖ベルナルドゥスは批判をしている(●参照)。現在我々がロマネスク様式の教会、修道院を拝観するのには大参考になります。
シトーは修道院 :このクリュニー修道院と並んで教会刷新運動の中心となったのが、1098年にブルゴーニュに建設されたシトー修道院である。シトー修道院もベネディクト戒律の厳格な実行と清貧・労働を重視した。クリュニー修道院では祈りや読書などの知的活動が重んじられ、労働に当てられる時間がほとんどなかったのに対し、シトー修道院では自らの労働で自らの生活を維持するための労働が重視された。彼らは荒野の開墾に従事し、開拓者の役割を果たし、経済的な面でも注目された。12世紀に全盛期を迎え、シトー派修道会は約1800の修道院を擁する一大修道会となった。現在フランスではセナンク、ル・トロネ、シルバカンヌ、フォントネー修道院などが有名。シトー派の考えは●参照でも推測できるように現代建築を思わせるような簡素なもの。
フランチェスコ修道会:富裕な織物商人の子供としてアッシジに生まれた。若い頃は放蕩の生活を送っていたが、あることで投獄され、重病を患ったことから回心し、以後一切の財産・所有物と家族を捨て、清貧の共同生活に入った(1206)。あばら小屋に住み、乞食やハンセン氏病の患者の世話をしていたが、3年後に粗末な農夫の服を着て、縄の帯を締め、はだしの姿で、12人の仲間とローマに出て教皇インノケンティウス3世に面会を求め、修道会設立を願い出た(1209)。そして教皇の認可を得て「小さな兄弟たち」という団体をつくり、労働と清貧の修道生活を始めた。彼らは労働の報酬として食べ物を求めただけで、食べ物がないときは喜捨を乞うて歩いた。所有しているものは首からかける袋とお椀1つだけで、その他の物は一切持たなかった。このため彼の創設した修道会は托鉢修道会とか乞食僧団と呼ばれた。彼らはフランス・スペイン・遠くはエジプトまで、民衆の中に入り込んで説教・布教活動をして回った。のこ会については詳細な項を改めて設定する。
ドミニコ修道会:同じ頃、スペインのカスティリア地方に生まれたドミニコも、司祭となってローマに出て、教皇の命令を受けてアルビジョワ派(当時南フランスで盛んとなった異端の一派)の説得に努めた。その後、フランスのトゥールーズ付近にドミニコ修道会を創設し(1215)、翌年教皇から認可を受け、施し物によって衣食を得るという托鉢修道会に改め(1220)、フランチェスコ派と並んで、民衆の信仰に新しい風を吹き込み、学問研究の面でも優れた業績を残し、カトリック精神の支柱となった。尚来日したフランシス・ザビエルはこの派である。