資料:巡礼については下記の本に詳しく書かれている。特に「巡礼の心理」は柳宗玄先生の名文に勝るもの    はないと思う。僭越ながらここにその一部を引用させていただきます。

柳 宗玄 「サンティヤゴの巡礼路」より抜粋  世界の聖域16
 すべての民族は神話を持っている。神話は宇宙の生成を、民族の発祥を、その苦難と反映の過程を物語る。
 神話の多くは、太古の霧の中に半ばその姿を没しているが、必ず地上の特定の場所に聖域を定めて、そこに陰を落とす。聖なる者はそこに顕現し、そこに生き、そこに永遠の存在を印する。
その選ばれた場所は、必ず何らかの意味で神秘の宿る山であり、川であり、泉であり洞穴であり、そしてまた、老樹の生い茂る場所であった。そこに祭壇が設けられ聖堂が立ち、さらに聖域は整い、栄え、やがて文化が育った。
 聖域は、天と地の、目に見えるものと見えないものとの接点である。過去はそこに現在としてあり、未来はそこを母体として広がる。民衆は聖域を中心として生き、栄えてきた。あらゆる文化は聖域を原点とする。
 人間の心の深層は、文化の原点につながれている。聖域は、そこに立つものの心に強烈なものを印せずにはおかない。声域には、民族ないし文化の発祥と発展の理論が秘められているからである。
聖域に立つものの心は、浄化される。浄化とは、人間の生の原点に、文化の原点に引きもどすことである。それは今の私たちに、特に必要なことであろう。            表紙見返しより

巡礼の心理
 巡礼といえば、私たちが直ちに思い起こすのは、西国三十三箇所の観音巡礼や四国八十八箇所の弘法大使の霊場巡りである。しかし規模がはるかに雄大であり凄絶とさえ言うべきものは、紀元4世紀から8世紀にかけて中国から天竺へ向かった仏僧たちの巡礼である。
 これらの仏僧の中でまとまった記録を残した最古の人法顕は、その巡礼に14(399412)を費やした。同行者が次々と命を落としてゆくなかで彼一人かろうじて生き続け、ついに目的を達して故国に帰還するその苦労のさまは、『法顕伝』の行間ににじみ出ている。下って7世紀の玄奘は、17(629645)かけて印度西域を巡礼した。彼の『大唐西域記』は、むしろ冷静な地誌的記録ゆえ、その苦労はさして表に姿を現さないが、おそらく私たちの想像を絶する艱難を幾たびも経験したであろう。これらの仏僧にとっては、長年月に亘る求法巡礼の旅は、彼らの人生の精力の大半を注いだものであり、さらには人生そのものであったろう。
 日本人の大巡礼行として著名なものは『入唐求法巡礼行記』を残した円仁の入唐(838847)があり、また近年では河口慧海のチベット行(18971903)などがある。いずれも非常な危険を冒しつつの求法巡礼で、その期間も私たちの旅行の常識を遥かに超えている。
 巡礼者の心理は、私たちの時代の一般人の心理とは全く次元を異にするものである。昨今の多くの人にとっての関心事は、何よりもまず労働と報酬、娯楽と福祉であろう。労働とは生活のためにやむを得ぬ行為であり、なるべくそれにたずさわる時間を少なくし労苦を減じ、それによって得た報酬によって生活と余暇を楽しみ、体力が一定の限界に達したあとは福祉のうちに生きながらえることを理想とする。簡単に言えば物質的快楽と肉体的安楽を求める人生である。
 これに反して巡礼は、なんらの生産性もない精神的な目的のために時間と労力を費やし、しかも非常な困苦と時には生命の危険を冒してその目的を遂行しようとする特殊な行為である。貧と苦を通して聖を求めようとするのである。これら二つの概念は、いずれも現代人には縁遠いものである。
 ここで目を転じて古代インド人(現代までその伝統はある程度続いている)の人生を見よう。彼らによれば人生は四つの期(アシュラマ)がある。第一は学習期、第二は家住期、次いで林棲、最後は遊行期である。第一期には霊的生活への準備として教師(ダルマ)の家に住み宗教的学習を行う。第二期は、アルタ(実利)とカーマ(性愛)とに携わる家庭生活の時期である。第三期に入り、髪が灰色になり子に子息を見るようになると、家を出て森に棲み、修行と苦行の生活をする。第四期に入ると、孤独のうちに遊行托鉢し、死を希わず生を求めず、ひたすら解脱へと向かう。すなわち人々にとっては、人生の目的は快楽福祉を求めることではなく、老いてますます酷しい修行苦行を通じて最高の梵に到達しようとするのである。この修行方法については『マヌ法典』に詳しい。
 このような生活は、希望は若者のもの、人生の成功の如何は中年の経済状態次第、老後は余剰の人生を消極的に過ごすのみ、そして死によって万事終わる。―というような近頃の人々が考える人生の類型とはまったく逆である。
 その優劣はさておき、古代インドの伝統を引くヒンドゥ教徒や仏教徒は、物的貧苦と肉体的苦痛に積極的な意味を認め、修行を通して死を克服しようとする。このような考え方は、他の多くの文明の中にも共通に見出すことができるものであり、巡礼はそのような理念にもとずく宗教的行為の一つの形として、普遍的傾向の強いものである。