柳 宗玄 「サンティヤゴの巡礼路」より抜粋 世界の聖域16
すべての民族は神話を持っている。神話は宇宙の生成を、民族の発祥を、その苦難と反映の過程を物語る。
神話の多くは、太古の霧の中に半ばその姿を没しているが、必ず地上の特定の場所に聖域を定めて、そこに陰を落とす。聖なる者はそこに顕現し、そこに生き、そこに永遠の存在を印する。
その選ばれた場所は、必ず何らかの意味で神秘の宿る山であり、川であり、泉であり洞穴であり、そしてまた、老樹の生い茂る場所であった。そこに祭壇が設けられ聖堂が立ち、さらに聖域は整い、栄え、やがて文化が育った。
聖域は、天と地の、目に見えるものと見えないものとの接点である。過去はそこに現在としてあり、未来はそこを母体として広がる。民衆は聖域を中心として生き、栄えてきた。あらゆる文化は聖域を原点とする。
人間の心の深層は、文化の原点につながれている。聖域は、そこに立つものの心に強烈なものを印せずにはおかない。声域には、民族ないし文化の発祥と発展の理論が秘められているからである。
聖域に立つものの心は、浄化される。浄化とは、人間の生の原点に、文化の原点に引きもどすことである。それは今の私たちに、特に必要なことであろう。 表紙見返しより
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