アジア系のハンガリーの首都ブタペスト
  国民の約90%がアジア系のマジャール人(ハンガリー人)である。そのほかロム(ジプシー)、ドイツ人、スロバキア人、セルビア人、クロアチア人、ルーマニア人などがいる。人口は1010万6017人(2001年推計)。
  イシュトバーン1世はアールパード朝を創始し、1000年にローマ教皇から国王の称号をさずけられ、ハンガリー王国が成立した。1241年のモンゴルの侵入、オスマン帝国の進入、ハンガリーの分割、ハプスブルグ家の支配、1848年革命。

アウスグライヒ

 ハンガリー人急進派は1847年の議会選挙で大勝すると、バッチャーニを首班とする内閣の樹立を要求した。全ヨーロッパに革命の気運が高まる中、1848年3月、オーストリアからの事実上の分離が可決される。ハンガリー議会は翌49年4月に独立を宣言し、対オーストリア独立戦争がはじまった。これに対し、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ1世はロシアのニコライ1世とむすび、1849年8月にハンガリー軍を鎮圧、ハンガリーにオーストリアの中央集権的な支配が復活した。その後、オーストリアは59年の対イタリア戦争にはじまる対外戦争にあいついで敗北し、ハンガリー人に対して融和的な態度をしめすようになる。67年3月、オーストリアとハンガリーはアウスグライヒ(妥協)をむすび、ハプスブルク家の皇帝を共通の君主とするオーストリア・ハンガリー二重帝国を形成した
 日、独、伊防共協定参加、敗戦、共産化、ハンガリー事件、民主化と歴史に翻弄される。
お土産:ヘレンドのコーヒー・紅茶カップが有名。我が家では少し気取ったときにこれを使う。鮮やかな緑色の草花は見ているだけで心が安らいでくる。これを初めに知ったのは、秋田県の横手市にカマクラを見に行ったとき、偶然に蔵を改造したカフェに入った。そこにはコーヒーカップが50種類以上あっただろうか、一番感じのよいのでお願いして、主人にどこの銘柄かを尋ねた。それ以来心の中にヘレンドが刻まれた。

▲漁夫の砦からドナウ川右岸にある国会議事堂を望む
1884年から建設が始まったネオゴシック様式の国会議事堂は正面268m、高さ96mの威容を誇り、ロンドンの国会議事堂にも引けを取らない
 
▲マーチャーシュ聖堂                    ▲王宮



▲ドナウ川に浮かぶマーチャーシュ聖堂

▲くさり橋は王宮と国会議事堂を結ぶ