プラーハ |
プラーハが国際都市として飛躍したのは14世紀中葉にカレル一世(チェコ王と神聖ローマ皇帝を兼ねた)がプラハを神聖ローマ帝国の首都とした時から。 チェコについて言及するときは宗教改革者ヤン・スフについて記さねばならない。彼は1372年に生まれカレル大学卒業後、母校で教授、総長になった。彼は教会の堕落を痛烈に批判し教皇制度や教会の制度を否定し、真の信仰にはキリストと福音書があれば良い、とした。この様に教会の権威を否定したのだから公会議に呼ばれたとき、一切の妥協を拒否し、異端とされ1415年火刑に処された。これに怒ったチェコの民衆は蜂起した。 フス戦争とドイツ騎士修道会 1419年にベーメン(ボヘミア)王国、現在のチェコでフス派が蜂起し、1420年に時の皇帝ジギスムントは兵力10万とも言われる十字軍を派遣したが、十字軍はヤン・ジシュカ率いるタボール軍に敗退し、ベーメンからの退却を余儀なくされた。その後、1421年、1426年、1427年、1431年と最初と合わせて5回の十字軍が派遣されたが、ことごとく敗退した。1428年頃からフス派は攻勢に転じ、ドイツ各地へ遠征軍を派遣している。フス派遠征軍は1428年にシレジア、1429年にザクセン、1430年にシレジアとハンガリー、1431年にシレジア、スロバキア、ハンガリー、オーストリア、1432年にラウジッツを襲撃し、1433年にはドイツ騎士団領を横断してバルト海に至っている。1434年にフス派穏健派がカトリック派と和解し、共同してフス派急進派たるタボール軍をリパニの戦いで撃ち破り、フス戦争は終結する。 この様な長期的な戦いになったのはカソリックに対する宗教改革の面とドイツ人に対するチェコ人の反感が根底にあったから。 お土産:なんといってもボヘミアグラス。プラーハの広場に面したお土産やで買った。お猪口のようなカップはお酒やワイン用に、またやや大きめのグラスはオンザロック用に、大きな皿はソーメンを入れて使っている。 |
▲プラハ城の中にあるロマネスク様式の教会と聖ヴィート大聖堂(建設は1334年に始まり完成は20世紀) |
▲旧市街よりカレル橋とプラハ城、聖ヴィトール大聖堂を望む |
▲旧市街広場よりティーン聖母聖堂を望む |
▲旧市庁舎より市街地を望む プラハはあらゆる建築様式が混ざった活気のある都市であった |
▲国民劇場 |
▲ブルボカ城よりの眺め |
▲チェスケー・ブジョビッツェのプシェミスカル・オカタル2世広場 広場を囲むアーケードを持った建物はゴシック・ルネッサンス、バロックなどの様式 |