地名 エフェソス
  アルテミス女神の神殿跡。世界七不思議の一つとされているアルテミス女神の神殿も、今では廃墟となっている。残っているのは、一本の円柱だけ。かつては、高さ19メートル、直径1.2メートルの円柱が127本も立っていたと言われる神殿。紀元前6世紀にリディアの王クロイソスが建築を命じてから、完成まで120年もかかったと言う。右の写真のような神を崇めていたのだからパウロから見れば偶像崇拝のきわみとも言える。
▲アルテミス神殿          ▲豊穣の神アルテミス(パンフレット)
  ヨロッパ人は必ず行くところであるが、悲しいかな団体であったため行けなかったが、参考までに記載した。
 この建物は、聖母マリアが晩年を過ごした場所だと伝えられている。
 

▲ヨハネ神殿(パンフレットより)  ▲マリアの家(パンフレットより)

  西暦431年にエフェソスで開かれた公会議では、「西暦40年に聖母マリアは、聖ヨハネに付き添われてこの場所にたどり着き、晩年をすごした」と認められた。

▲オデオン                ▲勝利の女神ニケ
 かつては、蔵書12万冊を誇り、アレクサンドリアやベルガモと並ぶ世界有数の図書館だった。しかし、3世紀のゴート族の侵入の際に破壊されてしまった。
 この図書館を建てたのは、2世紀頃のティベリウス・J・アキラという人物。かつてローマ帝国領アジア州総督だった父親のケルスス(セルシウス)を記念するためだった。


▲娼婦の宿への道しるべ

▲セルシウス図書館

ドリアヌス神殿
  西暦138年に、エフェソスの市民P.クインティリウスが当時のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げたコリント式の神殿。

▲トラヤヌスの泉              ▲ハドリアヌス神殿
 
▲大円形劇場                    ▲マーブル通り

 二回目の宣教の旅は通過するだけであったが、三回目の旅では約3年間留まりアジア地区の布教に邁進した。この町は世界七不思議に数えられる巨大なアルテミス神殿があり、そこでは豊穣、多産の神であるアルテミス神が祭られていた。パウロは偶像崇拝の愚を力説したに違いない。使徒言行録ではイエスが神殿から商人を追い出した内容とダブらせてかパウロが起こした騒動について記述している。筆者のルカの心憎い筆裁きだ。また最後に苦楽をともにした長老と悲壮な別れをしている。これはパウロがユダヤ人キリスト教徒からの迫害を言いたかったのではなかろうか。

使徒言行録 18:19 (第二回宣教の帰路)
 一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。

使徒言行録 エフェソデの騒動 19:23〜32(第三回宣教の旅では約2年間とどまった)

 そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。

使徒言行録 エフェその長老たちに別れを告げる  20:17〜38(第三回宣教の帰路)
 パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。 長老たちが集まって来たとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。……………そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。………ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。………人々は皆激しく泣き、パウロの首を抱いて接吻した。特に、自分の顔をもう二度と見ることはあるまいとパウロが言ったので、非常に悲しんだ。人々はパウロを船まで見送りに行った。