場所 | ペルガモン |
ペルガモンの歴史 |
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▲北川回廊、アスクレピオン |
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▲劇場(アスクレピオン)での音楽、演劇の鑑賞で気分を和らげる ▲ トラヤヌス神殿 |
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▲劇場 |
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▲ペルガモンの大祭壇 世界美術大全集 4 ギリシャ・クラシックとヘレニズム 小学館より 歴史:エウメネス王時代のペルガマはローマの権威を背景に大いに発展した、しかしあまりに急に膨張するためローマの元老院との確執が生まれ、ついにローマはガラテリア人を扇動して反乱を起こさせた。しかし王は独力で反乱を鎮めたのでペルガモンの誇りを高めた。王は戦勝を記念して大祭殿を築いた。 大祭殿:南北36.44m、東西34.2mの基壇の中央には供犠祭壇があり、周りはコの字型に柱廊が取り囲んでいる。基壇のフリーズは高さが2.3m、全長136mmからなっている。 そこに刻まれているテーマはゼウスを長とするオリュンポスの神々に反逆した大地ガイアの子ギガンテスが起こした戦いである。この戦いはギリシャ人が想像した最も壮大な戦闘のイメージである。それは闇に対する光、混沌に対する秩序、思い上がりに対する節度の戦いであった。ギリシャ人はペルシャ人との戦いにおいてこれを作ったが、ペルガマ王国はローマ人やガラテリア人に対する戦いとして位置づけた。 文化財の保存:ペルガモンの大祭壇はこれを発掘担当したドイツに持ち運ばれてしまった。現在はベルリンの「ペルガモン博物館」の看板になっている。確かに発掘の労をとったであろうが、約2000年の歴史のある文化財が発掘の経費を負担したくらいのことで持ち去ったのでは、文化財の保護ももとに行われた破壊であり盗掘とも言える。ベルリンにはコピーを残しドイツ人が行った文化財の保護を記念したらよい。本物は生まれた国の台地に返すべきではないだろうか。最もこの種の文化財の略奪はイギリス、フランスがメインであるが。 |