飛鳥石造遺跡
神仙蓬莱思想は不老不死の願望を満たす
 
飛鳥時代になると中国、韓国から神仙蓬莱思想が伝えられた。この思想は不老不死への願望を満たしてくれそうなので、秦の始皇帝から始まり、漢の武帝など古代中国の権力者がこの思想に熱狂した。日本でもこの思想はすぐに蔓延し、「島大臣」と言われた蘇我入鹿も池を作り、その中に蓬莱山島を作って不老長寿の儀式を行った。更に天武天皇、持統天皇にも引き継がれ飛鳥地方に不思議なモニュメントが生まれた。
  この思想は人間の根源的願望を叶えてくれそうなので、今日まで影響を与えている。いわば日本人のDNAに組み込まれた風俗になっている。
 
▲亀形石造物遺構 聖なる亀により天皇の不老長寿を願ったのだろう ▲酒船石

▲須弥山といわれている                 ▲
胡人風の像

▲亀石 蓬莱山は何処にあるのだろうか        ▲二面石
  武帝の庭にも亀石はあった

▲石舞台の巨石は何と亀石ではないか(上記亀石と比較してください)
  この指摘は齋藤先生からのものであるが、石舞台は単なる物理的な墓ではなく、神仙蓬莱思想が確実に信仰されていた証拠といえる。

▲石舞台 蘇我馬子の墓
であるが、やはり巨大な亀で右側が亀頭石

▲伝飛鳥板蓋宮跡

▲飛鳥京跡第151次調査(2004/3/13現地説明会) 飛鳥京正殿と伝飛鳥板蓋宮跡の間にある

▲上記庭園部分拡大  正殿脇から石組みと砂利を敷き詰めた池状遺跡。最初に記載した亀形石造物遺構にやや似ている。

▲島大臣といわれた庭園のあったところ(石舞台の前)

▲島庄遺跡(2004/3/13現地説明会) 各建物群は4種類ある。北軸から振れが無い、北軸から15°、30°、50°である。30°のものは道路の向かいにある方形池と同一角度であり蘇我馬子の宮殿ではないかと推定される。

▲飛鳥京跡苑池遺構付近  飛鳥川のほとりに1998年発掘され既に本格的庭園であったことが分かった。池底には一面に敷石がなされ、池は南北200m、東西70mの巨大なもの、島の大きさも100mにもなるもの。ただし、現在は埋め戻されている。

▲飛鳥京跡第152次調査(2004/3/13現説)
  飛鳥京正殿から真北の飛鳥寺に向かう水路

▲益田の岩船
  巨大な石棺作成中に亀裂が入り河口中断