極楽浄土の世界 平等院(浄土式庭園)
京都府宇治市治蓮華116  電話:0774−21−2861
時代背景
 インド、中国で末法思想が生まれたが、わが国では
古代国家の崩壊過程進行に伴い社会・政治情勢の不が広まった。10紀末から11世紀にかけ、摂関政治の行き詰まりと天災や疫病に脅やかされていた貴族たちは、密教や陰陽道などの呪術にすがって現世利益を求めるだけでは足りず、浄土信仰によっても日々の不安から解放されようと願った。こうした時代の風潮と相まって末法思想が広まっていった。
極楽へ行くための手っ取り早い方法は、この世に極楽を再現する

  極楽へ行くためには「観無量寿経」では定善十三の観法がある。極楽世界の細部から思い浮かべ、目の前にありありと見えるまで修行せよ。そうすれば最終的には極楽の蓮華の中にいる自分が見えてくる。そのためには寝ても覚めても極楽が見えるように訓練する必要がある。想像力で現実を作ってしまうのだ。
  しかしこれでは非常に手間が掛かる、何か安直な方法がないのか。あるある、地上に極楽を作ってそれを見続ければ、極楽世界が目の当たりに浮かんでくる、という。道長は62歳で糖尿病で死んだそうだが、美食の果てに目が見えず、好きなものも食べれず最後を迎えた。

▲鳳凰堂と復元された州浜
  最近の発掘で鳳凰堂の前は玉石による州浜上になっていたことが分かった。また翼廊荷は基壇がなく直接に州浜に建っていたそうである。鳳凰堂正面には小御所があり、そこから藤原頼道が正面の阿弥陀如来を拝み、極楽へ成仏することを願った。

▲対岸の小御所から頼道は池越しにこの世の阿弥陀様を拝んだ

▲極楽は海岸の州浜に建っているものと見立てられた

極楽浄土の再現
  近年の発掘により鳳凰堂は中島であり平橋、反橋をわたって行く事が分かってきた。鳳凰堂の建つ極楽浄土の彼岸も池泉周囲の此岸にも写真のような玉石が敷き詰められている。

▲とうとうと流れる宇治川。対岸の上流には道元による曹洞宗の興聖寺がある