大徳寺・孤篷庵
京都市北区紫野代徳寺町66
沿革
  小堀遠州は1612年に大徳寺山内の塔頭龍光院内に孤篷庵を創設した。江月和尚を請じて開山とした。彼は駿府城の作事奉行を務めその功によって遠江守に任じられた3年後のことであった。1641年から現在の地に新しい孤篷庵を作り始めた。このとき彼は京都の内裏造営の総奉行を勤めていた。彼は引退後禅庵として、また茶禅一味を実践する理想の世界を作ろうとした。
庭園
  中には容易に入ることができないが門の前後は見ることができそうだ。本来の茶室について記載すべきであろうが、ここではが外観より一級品である茶室と庭に思い馳せることにする。

▲堂々とした石橋、庭園にあるような橋添え石で建築と庭園が一体となっている

▲くし型の橋  中国禅寺の意匠ではなかろうか

▲山門を潜ると適当な広さの空間があり、静寂な雰囲気が漂っている

▲参道を歩くと書院への入り口に至る

▲参道の突き当たりの飛び石は特異な石を配しているが、右側にある門へいざなっている。奥には外待合がある。

▲外待合
 
▲山門からまっすぐ伸びる延段             ▲山門は入ってすぐ右の勝手口への延段     
 
▲山門からの延段へ直交する排水溝の意匠 
画面右側の溝は排水と同時に進行方向へと誘う 

▲直線の延べ段には千鳥に長い石を採用し、奥行きを強調

▲奥行きのある参道