展望の庭(借景の庭)
展望庭園と景観の問題
  京都でも展望庭園の最後となった円通寺の庭園がいよいよ風前の灯だそうだ。世界でも類がないこの庭園の価値と自由主義国家を天秤にかけ、現実的な解決を模索されたとのこと。宅地化、都市化は一都市の問題でなく景観に関する国家的な条例が急がれる。修学院離宮は園内にあった農地約8万uを26軒の農家から昭和39年に買い上げたそうだ。マンションでも出来たら大問題になった。これも宮内庁だから出来たし、農家も大昔から修学院離宮内で耕作することを誇りに想っていたからこそではないか。その他の展望庭園は自衛策として庭園の周りに植木を植え外の看板、工場の煙突、貧相な住宅を見えないようにしている。しかしこれでは肝心の展望が可能になり、それこそ本末転倒になりかねない。

▲上の茶屋・隣雲亭より北山連山を望む

▲修学院離宮・上の茶屋 窮邃亭(きゅうすいてい)内部  明り取りは全部上げずに、連山の稜線から下を望む(視野に空が入らぬように)

▲修学院離宮・上の茶屋表門付近より遠くに愛宕山、手前の田畑では農作業が見れる

▲円通寺より比叡山を望む

▲円通寺より景色を楽しむ

▲正伝寺より比叡山を望む

▲酬恩庵  生垣の後ろにはあたかも円通寺の景色のように、遠く京都の連山が望める。

▲酬恩寺  観音石の後ろには比叡山をはじめ連山が望める。しかし昨今の無造作な宅地造成のため木立による遮蔽を余儀なくされ、連山が一望できなくなった。

▲慈光院   春日山、三輪山、金剛山などと大和平野の農村の風景が望めた

▲書院の南側は大刈り込みや木立があり自然と東側の大空間に誘われる

▲無隣庵は東山を望む絶好の土地にある  左端にある巨石は秀吉が醍醐山中に取り残した石といわれる。この付近には小川治兵衛の系統で東山を背景とし、琵琶湖の疎水を利用した庭園として織寶苑、大寧軒、何有荘がある

▲衣水園  東大寺南大門、春日山、若草山、三笠山が見える