玄宮園  見所の多い大名庭園  池泉回遊式  江戸時代初期
滋賀県彦根市金亀町1−1   電話:0749−22−2954
沿革
  1677年彦根藩4代藩主井伊直興が下屋敷御殿として作った。作庭家は家臣の松本何右衛門、または越石何右衛門といわれ、彼はあちこちから集めた石を家臣の下屋敷で仮組みした。それを直興が閲覧して修正を加えた。かくのようにしして作られた庭なので見所が多い。
庭園
  上記のように仮組みをしてまで作った庭なので、至るところが見所だ。中央の島も東西南北どこから見ても見ごたえがある。その他、角から角までしっかりと主張がある。正直言って、大名庭園なので余り期待していなかった、それどころか行くことさえ躊躇したくらいである。大名庭園は広いだけで石組みが余りない、との先入観があった。ここは京都に近いためか、岩組に対する伝統が活きてたためか、京都の二条城のような感じがした。
  さて具体的に見ると、島が大小4島ありいずれも石組みがある。特に中央にある蓬莱島は全ての角度から見ても満足できるようにっている。蛇足ながら付け加えさせていただくならば、当玄宮園は小石川後楽園の蓬莱島や六義園の妹と背山に似ているが、玄宮園のほうが石組みは立体的でどの角度から見て見ごたえがある。次に蘇鉄山についてであるが、ここも周囲を巨石で組みあげている。視覚は中央の池とか対岸の景色に向いてしまうが、この島もしっかりと作られている。

▲蓬莱島の鶴鳴渚といわれる中央の石組み。なんといっても気になるのが鶴が天に向かって一声あげたときの姿だ。ここの石組みはどの角度からも堪能できる。

▲鶴鳴渚を島の南から望むと、なるほど鶴が群れで戯れてる様に見える。

▲蓬莱山を背にした亀島  上記写真の位置より少し東よりから撮影。がっしりとした石組み


▲蓬莱島の北側からの景の代用写真(冬季以外は植え込みが繁茂していて見えないため)  上記亀頭石がここでは鶴になり両翼を広げ羽ばたいている。鶴は背に彦根城を載せている。神仙蓬莱の世界だ。

▲鶴鳴渚を北側から望む(武蔵野より撮影)  

▲高橋と蘇鉄山(右)

▲蘇鉄山の裏側護岸でも圧巻の石組み

▲臥龍橋より臨池閣(右)と鳳翔台を望む

▲飛梁渓


▲小島は亀島に見える  右は臨池閣