慈光院  大空間庭園 江戸時代初期
奈良県大和郡郡山市小泉町  電話:0743−53−3004(茶席を含めて1000円)
沿革
  1663年、大和小泉城主片桐石州が両親の菩提を弔うため開設した。石州は片桐旦元(かつもと)の甥で、1627年に23歳で父貞隆の遺領を継ぎ、大和郡山の小泉城主となった。石州は20才で石見守になり、石州と称された。29歳から知恩院の普請奉行を9年間務め、茶道の修行をした。京都に二帖台目の茶席を設けて、実に多くの人々と交流を深めた。慈光院の落慶法要に後西上皇が祝いの勅旨を遣わしたほどである。ことに小堀遠州との知遇を得たことは、建築、茶の湯、造園と多方面に影響を受けた。その結果「侘びの文」を著し、将軍家の茶道指南役となった。石州は体制に合った、分に応じた武家の茶道を確立した。以後江戸時代を通じて、幕府および諸藩の茶道はほとんど石州流となった。
庭園
  庭は春日山をはじめ三輪、金剛にいたる諸山と大和平野の眺望を主景としている。この主景を生かすために、園内には石組みをほとんど行わず刈り込み一式の庭とした。薄暗い部屋に入った瞬間、開けた明るい方向に誘導される。そこには大和の青垣と平野が展望でき、心地よい開放感を得て、心から寛げる気持ちになる。この景はどこかで体験した景色だと思うが、京都の洛北にある円通寺のそれである。背の低い生垣の向こうには、四季折々の農作業を見ることが出来たのであろう。修学院離宮の景である。

▲部屋に入った瞬間に柱の林からの向こうにパノラマが展開する

▲部屋から外を眺めると大和平野と大和青垣が望める。この構成は京都の円通寺と似ている

▲部屋より南側を望むと右側に大刈り込みがあり、正面には木立が生い茂って視界をさえぎる。自然に視線は大和平野に向かう。

▲つつじの大刈り込み

▲山門(玄関より)

▲書院は茅葺で一見農家風

▲庭から見た書院