浄古寺(夢窓国師ゆかりの寺) 江戸時代 |
山梨県山梨市牧丘町窪平154 電話:0553-35-2311 |
沿革 視界が開けた地にある。 夢窓が29才から30才にかけて修行をした庵である。彼は1330年56歳のとき近くの恵林寺に住持した時に、昔を懐かしんで詠んだ歌がある。 「こけの石 草むらかげにすごすとも とはに姿の かわらまはほし」 庭園(国師の庭ではなく、江戸時代のもの) 甲州地方特有のスタイルである @池が上下二段になっていて A傾斜地に石を組む B下段の池は小さく、横長である 私は2005年4月14日の夕暮れこの地を訪ねた。夕暮れ時であったがご住職、奥さんの暖かな対応が記憶に残る。将に国師の修行の地、といえる。 備考) 川瀬一馬氏の「禅と庭」には現在史蹟として認定されている場所ではなく倉科にあった「上求寺」なる地籍であろうと、推論している。ここには石田邸があり、ここから数丁の山道を登ったところに、東の谷が開けたところがある。ここなら「浄居」にふさわしい地である、と書いてある。またここには清らかに水が流れていて、滝になっている(雄滝、雌滝).若き日の国師が幽棲して、坐禅修行に励まれるのに相応しい勝地である、と記されている。147P |
▲三門を入ると鐘楼がある |
▲本堂前の桜がきれいであった |
▲セオリーどおり上段の池がある |
▲洞窟 向かって右側は丸みを帯びた石で構成されている |