亀島の系譜
  神仙蓬莱思想の亀島については「なぜ日本庭園か」の章に書いてある。一口で言ってしまえば亀は蓬莱山を背負い蓬莱山には仙人がいる。また蓬莱山には不老長寿の薬を作るのに適した洞窟があるし、薬の素材である薬草や鉱物がが豊富にある。  亀島があれば多くの場合鶴島があったり、蓬莱山の岩組みがある。
 
▲飛鳥石造遺跡(韓国の新羅からほとんど同じものが発掘されている)

▲石舞台の巨石は何と亀石ではないか(上記亀石と比較してください)
  この指摘は齋藤先生からのものであるが、石舞台は単なる物理的な墓ではなく、神仙蓬莱思想が確実に信仰されていた証拠といえる。

▲西芳寺上部亀島。画面左側から見ると右手前の石が亀頭石に見える。この三尊石の中心石は後世亀甲石の基準になる。例えば金地院、三宝院、二条城など。

▲鹿苑寺(金閣寺)には亀島が5島もある

▲金閣正面から見える亀島(右側)と鶴島(左側)

▲亀島側より  写真右側扉は書院院の扉

▲妙心寺(退蔵院)の亀島には分厚い石橋が架かるようになってきた

▲保国寺の亀島は入り江ギリギリに突っ込んでいる珍しい形。背を向けているが蓬莱山に向かっている

▲朝倉遺跡の湯殿跡庭園。写真右側の亀頭石しかないが見る者を背に乗せ蓬莱山に向かっている姿

▲出島に架かる分厚くて低い位置にある橋(この後橋は亀島に架かる)。後ろには亀島と滝が見える

▲千秋閣 仙人の住まう蓬莱山(鶴島、亀島)には直接橋が架かる。このような風潮は桃山時代の特徴
  手前から亀島に架かる橋の石は皺があり湾曲していて、洞窟状になっている。仙人の住む蓬莱山の雰囲気。亀島は多孔質の石で覆われている。

▲二条城の亀島は亀頭石が焼け爛れたような珍しい石。その後ろ(対岸にあるが)の巨石は蓬莱山を現している

▲二条城の中島蓬莱島はこの位置から見ると亀島に見える。盛り上がった背中には仙樹の松を背負っている

▲三宝院の亀島。典型的な亀甲があり、傘型の松を背負っている(金地院の亀島と瓜二つ)

▲円徳院の亀島

▲西本願寺の亀島。奥に見える三角形の石は鶴島の羽石

▲金地院の亀島。亀島の要素を完備している

▲蓬莱島(鶴鳴渚)の南側

▲石像寺の四神相応の庭。点前が亀(玄武)、奥が青龍