カンデンスキー・モンドリアンと重森庭園

1重森三玲年賦
ヨーロッパで抽象芸術論が確立されたのは、ちょうど重森が東京美術学校に入学したころである。
重森が造園を始めたのは昭和9年の春日大社のころで、出世作は昭和14年の東福寺と光明院である。
 重森が東福寺本坊北庭の市松模様の庭と光明院庭園をつくり始めるまでには約20年あるので、美術雑誌なのの影響を受けていたのではないかと推察する。
 直接的に模倣したという訳ではなく、潜在意識の中にヨーロッパの画像が焼き付いていたり、ヨーロッパ画壇の抽象論の思想を影響を受けていたのかもしれない。
 ただしここに示した庭は全庭園が200庭ある中で3例のみである。それも戦前の作品のみであり、重森は次から次えと脱皮しているのである。あくまでもインスピレーションを受けたのではないかと思われる例をしましたのだ。

1896

明治29

0

誕生

1914

大正4

18

茶室「天籟庵」作る

モンドリアン抽象芸術論

1917

大正6

21

日本美術学校入学

1919

大正7

23

日本美術学校卒業

1920

大正9

24

日本美術学校研究科卒業

1922

大正11

26

文化大学院創設

カンデンスキー将棋盤模様

1930

昭和5

34

新興いけばな協会創設(勅使河原等)

1934

昭和9

38

春日大社・四方家

1936

昭和11

40

実測調査開始

1938

昭和13

42

350庭実測完了

1939

昭和14

43

東福寺方丈・光明院完成

1940

昭和15

44

阿波国分寺発見西山家・斧原家・井上家庭園

1949

昭和24

53

いけばな研究「白東社」創立

1953

昭和28

57

岸和田城

1957

昭和32

61

4/20 徳島県鮎喰川でユネスコ庭園の石を探す
   (イサム・ノグチ、鈴江)

1975

昭和50

79歳没

松尾大社

2『美術関係目次』明治・大正・昭和前篇より重森三玲・モンドリアン・カンデンスキーを検索する。
@重森三玲は「アトリエ」に昭和12・13年に投稿していた。

人名検索

雑誌名

巻・号

出版時

題名

130

アトリエ

149

昭和129

林泉百態(1

130

アトリエ

1410

昭和1210

林泉百態(2

131

アトリエ

151

昭和131

林泉百態 庭園と絵画


Aモンドリアンは「アトリエ」に昭和12年6月号に掲載されている。

人名検索

雑誌名

巻・号

出版時

題名

127

アトリエ

146

昭和126

絵画原色版  構図
格子の交差によるコンポジションが掲載されている

モンドリアン


Bカンデンスキーは多くの雑誌に掲載されている。詳細は省くがアトリエ・現代洋画・白樺・中央美術・美術新報・みづゑ39回掲載されていた。

人名検索

雑誌名

巻・号

出版時

題名

128

アトリエ

146

昭和126

別冊写真集60作品

カンデンスキー他

136

アトリエ

157

昭和136

具象絵画論

カンデンスキー大島博光訳

432

現代洋画

22

大正31

失題(木版色刷り)

カンデンスキー

498

白樺

49

大正29

「響き」カンデンスキー

小泉鉄訳

578

中央美術

22

大正51

カンデンスキーの芸術

荻原直正

611

中央美術

79

大正109

絵画 水彩(原色版)

カンデンスキー

1119

美術新報

124221号)

大正22

構図

カンデンスキー筆

2020

みづゑ

372

昭和112

別冊写真版 

カンデンスキー


3重森庭園と抽象絵画の事例
@東福寺方丈北庭(S14年):一般的には桂離宮の市松模様の襖からインスピレーションを受けたと言われている。しかし重森は学生時代からカンデンスキーに傾倒していたので、彼の作品は潜在意識の中にはあったと思われる。以下にカンデンスキーとモンドリアンの絵を示す。

東福寺方丈・北庭

カンデンスキー(左右に格子模様)

カンデンスキー(中央に格子模様)

カンデンスキー

カンデンスキー

モンドリアン

モンドリアン

A春日大社・東福寺方丈・四方家・桑田家庭園とモンドリアンの斜線
カンデンスキーは対角線の構図は1921年に完成するが重森の昭和9〜14年の作品の類似性を示す

春日大社(S9年) 斜線構造は苔地と白砂により、X字型は石組みで表されている

東福寺方丈(S14年)

四方家(S9年)

桑田家

カンデンスキー

カンデンスキー

B光明院の三つの三尊石から輻射する光明線
観音像から光明が発していつデザインの庭は四天王寺学園や正眼寺の庭園がある。しかし光明院は三尊石が三つありそれぞれから発せられる光明線上に石が配置されているために、やや煩雑な印象を受けた。しかし重森の狙いはモンドリアンの幾何学模様の絵画のように直線を交差させることに目的があったのではないかとも考えられる。

光明線を設計図の石の上に書き加えた

光明院庭園