河田家  重森三玲草創の気概
京都府京丹後市   非公開
沿革
  河田家は代々酒造業をされていた旧家であった。しかし丹後地方の大地震で立派な本宅などを失ってしまった。しかし直ちに現在の建物えお入手された。先代の河田氏と重森は生花に造詣の深い山崎氏を通じてのものであるが、先代の温厚篤実な性格と古美術に対する造詣が深いこともあって、重森とは入魂になり、河田氏のために心を込めて作庭した。
庭園
  予てよりあった旧庭の石を使って作庭したので、重森にとっては苦労があったと思われるが、努力の甲斐があってか、簡素ながら質実剛健な庭である。特に枯滝とその前の岩組みは深山幽谷の趣があり、大徳寺の禅庭の気風が漂う。庭への門を開けると正面に枯滝の岩組みがあり、その迫力に吸い寄せられる。枯流水の中ほどには出舟があり、変化にとんだ州浜模様とあいまって浦島伝説のあるこの地方の海岸美をあらわしている。
  重森はインスピレーションに従って短期間で仕上げるが、参考までに河田家の岩組みの日程を記録から拾うと、以下のようになる。
@5/11:京都から到着後直ちに庭石を掘り起こし、組み立て
A5/12:残りの岩組み完了
B5/13:茶庭を一日で完了
C5/14:椿の古木を掘り起こし、枯滝の背後に植える
D5/15:地模様を作る
E5/16:苔が到着。直ちに貼り付け完了。

▲旧家の趣

▲門を開けると、ものすごい吸引力に吸い寄せられる

▲白州の中央に出舟が浮かぶ

▲塀際の岩組みと奥の枯滝の岩組みが重層していて立体性が感じられる

▲中央の石がこの空間を支配する。圧倒的な存在感

▲枯滝を横なら眺めると立体的に組まれていることが判る

▲建仁寺垣の置くには路地が

▲路地と待合(写真右側に背の高い桂垣を作り、待合の前には丈夫に障子を入れなどして俗界の京雑物を排除している。

▲待合から見た路地。州浜模様は丹後地方の海岸をイメージしている。

▲庭への敷石                        ▲路地飛び石