北畠神社 池泉回遊式  室町時代
三重県一志郡美杉村上多気 
沿革
  1528年足利14代将軍義晴に従って朽木に逃れてきた細川高国は、翌年の正月に援軍を求めて北畠晴具(はるとも)を訪れた。晴具は高国の娘を娶っていたので、高国は岳父にあたる。高国はこの滞在中に庭と作った。
須弥山について
細川高国が天王寺の戦いで破れ、尼崎で捉えられ、自刃する前の辞世の句に
 「絵に写し、石で作りし海山を、後の世までも目かれずやみん。伊勢の国師へ」

▲螺旋の中心には須弥山が聳えている

▲中央に聳える巌はまさに須弥山だ

▲九山八海の中心部

▲池泉部の護岸と九山八海部の枯山水

▲中央に192cmの枯山水を須弥山を中心とした九山八海を象徴している、との解釈も可能である。

▲枯山水部分から池泉を望む

▲豪華な護岸石組みと須弥山

▲豪華な護岸

▲日本の出島(左右)と亀島(中央)

▲左側の出島は旧秀隣寺の出島に似ている

▲護岸をかねた滝

▲分厚い橋は室町時代の特徴

▲二本の出島

▲北畠神社の須弥山                    ▲萬福寺の須弥山