妙心寺の風景    
 備考)写真下にあるNoは妙心寺が発行しているパンフレットの地図に記されている寺院の記号
  禅の庭を語るには寺の玄関を見ればよいのではないだろうか。ひいては寺域を見れば理解できると思う。
添付の写真のように、各寺々は地形に合わせ本坊などが建てられている。山門から玄関へのアプローチも実に様々だ。葺いてある石の形、材質、模様は様々だ。植えてある木も様々の種類と刈り込みがされている。一見ばらばらに見える模様の中にピシッとした芯がある。それを発見したときの喜びはなんとも形容しがたい。禅の境地から自然と醸し出された巧まざる技というべきか。
臨済宗の禅の悟りとは
  自分が清浄身であることを自覚する、ことである。そのためには方便として周りを塵一つない環境にする、ことである。これを称して禅観境を無染にする、と言う。そのためには一に掃除二に掃除である。
 
この精神から発している禅寺の庭園は塵一つなく、水が打ってあり、凛として厳粛である。
四派による切磋琢磨により寺勢は拡大
 大寂常照禅師は、妙心寺が排出した四傑と言われる特芳禅傑(霊雲派)・景川宗隆(龍泉派)・悟渓宗頓(東海派)・東陽英朝(聖澤派)の四派のひとり。若くして出家、京都・東福寺で詩文を学び、妙心寺で禅を修行、後に龍安寺の住職となって中興の祖となった。

 大寂常照禅師は、京の都が焼け野原となった応仁の乱の中を生き抜き、乱世の世に平和と民衆の幸せを願い、仏の教えを説いた。自分の持ち物をすべて民衆に与え、妙心寺を開いた関山国師の禅風である清貧を守った孤高の禅師だった。

▲三門

勅使門と山門の間にある放生き池に架かる橋(東福寺・天竜寺と同じ形)

▲庫裏付近

小方丈@

小方丈A

▲1、慈雲院

▲2、退蔵院

▲3、天授院(本派専門道場 碧巌録提唱)

▲4、聖鐸院

▲5・@霊雲院

▲5・A霊雲院

▲9、大龍院

▲11・@、春光院

▲11・A、春光院

▲14、金牛院

▲15、天球院

▲17、智勝院

▲18・@、麟祥院

▲18・A、麟祥院

▲19・@、大通院

▲19・A、大通院

▲21、雲祥院

▲22、長慶院

▲23、桂春院

▲24・@、大雄院

▲24・A、大雄院   石楠花のようであるが4月に花が咲くのだろうか

▲26、蟠桃院

▲28・@雑華院

▲28・A雑華院

▲31、大心院

▲32- @、東海庵

▲32-A、東海庵

▲36、衡梅院

▲37・@龍泉庵(研修道場)

▲37・A龍泉庵(研修道場)

▲48・@、玉鳳院

▲48・A、玉鳳院界隈