妙心寺・桂春院 江戸中期
京都市右京区花園寺の中町11番地  電話:075−463−6578
沿革
 1598年織田信忠の次男、津田秀則により見性院として創建された。秀則没後は美濃の豪族、石河壱岐守源貞政が1632年亡父光政の五十年忌にあたり追善供養のために、現在の方丈、庫裏、書院、茶室の建物を完備し、両親の法名天仙守大禅定門の桂と裳陰妙大姉の春の二文字をとって桂春院と改めた。
庭園
  岩がある庭らしい庭ではなく、茶室の庭といえる。地形に合わせ茶室に至るまでの経過を楽しむように、地形に合わせた入り組んだ仕掛けが施されている。

▲真如野庭 
 方丈に南側の一段と低い場所に草木が植わっている。後ろには生垣があり経路を隠している。

▲方丈より一段低いため崖はつつじのおお刈り込みで覆われている。

▲書院前庭より飛び石づたいに中門(梅軒門)を潜ると既白庵茶室に通じる露地庭である。

▲書院より露地庭を眺める

▲書院の裏側とも言える場所に既白庵がある。禅寺ゆえ茶室は目立たないようにしている

▲蹲                               ▲刀掛けの石

▲馬酔木