中田家の庭園に関する木沢天童(松本藩儒家)による「亀鶴石記」
今から約200年前に戸田家の儒家木沢天童が庭園を愛でた記録である。この頃既に有名であった庭園を藩士と同伴した時のものであろうか。当家の家系図によれば当主は八代の繁順(しげやす)である。
▲巻頭部分
亀鶴石記
前に萬畳の山あり、雪を千秋に望む、……………
………三子長は衆(そう)、中わ牧、末わ猶幼し、共に訓習して倦まざれば、来日の慶知る可きなり。
文化二年冬十一月
天童楠 大淵識