ノブレス・オブリージュ (noblesse oblige)

  語源的には一般的に「高い身分に伴う道義上の義務」といわれている。私はここでは「庭園を含む文化財を所有する者の維持管理への使命感、公開性への好意」と定義してみた。

   重森の庭を所有するものが公開の義務を負っているわけではない。しかし、文化財としての重森の庭は日本文化、ひいては人類の文化財とも言える。価値ある文化財が塀の中にあるのではその価値も半減してしまう。可能な限りの範囲で公開していただければ十分である。場合によっては撮影された写真の提供だけでも結構なのだ。

  多くの個人庭園は応接間、居間から客や家族で寛ぐために作られたものである。決して見も知らずの、他人の鑑賞のために空間や金銭を使ったのではない。

今回多くの個人のお宅を訪問し撮影の許可をお願いした。従来の重森論は「大きな神社仏閣の庭」を中心として論じられてきた。しかし個人所有で家庭に密着した庭園にも日本庭園の本質があってもいいはずである。日本庭園が特別の神社仏閣や、豪邸にしか存在しないのであれば、それは地に付いた文化とはならないのではないか。これが多くの個人のお宅を撮影した理由である。重森はその辺は心得ていて、実に小さな家庭的な庭園も多く作っている。これも重森の魅力の一つである。

ほとんどのお宅では基本的には、重森の庭を撮影し、私のホームページに記載されることを同意していただいている。しかし、庭の現状が初期の状態に比べて見劣りするために、大半のお宅が撮影を躊躇される。重森らしさが出ている庭園の一部のみでもいいからと、ひたすら懇願した。庭の手入れが不十分であると恥じているお宅に、少しでもいいからと強引にお願いするのも、我ながら情けないと思うこともあった。しかし将来、何らかのお役に立てば幸いであるとの信念だ。

  見ず知らずの私が居間や応接間から撮影したり、また、庭に降りて撮影することを許していただいた。プライバシーを犯しての撮影や写真は悪用されるかもしれないのであるが、私を信用してくださった庭園所有者に感謝したい。これこそヨーロッパで言う ノブレス・オブリージュ と考える。

   このような皆様のご協力のおかげで、「重森の原像」の一端でも明らかにすることができれば幸いである。重森三玲の研究の礎となれば、庭園所有者ともどもの喜びであると考える。

多くの場合は個人庭園は非公開であるから住所録などで検索して電話をかけたり、直接の訪問は控えていただきたい。更に撮影した写真の無断採用は絶対に慎んでいただきたい。 

重森の庭の撮影を何故躊躇されるのか
  重森の庭を維持するのは至難の業である。苔や松などは植物のため、生長したり病気になったりする。健康で見栄えの良い状態に管理するには愛情はもとより金銭的な裏づけが無くては無理である。特に杉苔は重森の庭の重要な要素である。ところが、この杉苔は湿潤な場所でのみ生成できるのである。ただ水を散布しても繁茂するわけではない、空気中の水分が必要なのだ。西芳寺は苔寺といわれるように、谷あいには沢があって山と庭は木で覆われている。このような環境でのみ育つ苔を住宅の南側に植えて炎天下に曝したのでは、数年で枯れてしまう。

 多くのお宅では苔が数年で枯れてしまうため、やむを得ず苔を植えなおす。しかし、また数年で枯れてしまう。途方にくれた結果、ほとんどのお宅では「龍の髭」にしその場をしのいでいる。場合によっては維持管理を放棄せざるを得ない状態に追い込まれてしまう事もある。

 しかし、光明が無いわけではなく、丹後地方で塩が飛来する庭でも苔が青々と育っていた。不思議に思いお尋ねすると「EM菌です」と仰る。今後はこのような手法も含めて苔の育成についての連絡の輪を広げられたら幸いである。

  重森の庭園で必須条件である白川砂の入手が困難になっている。天然の材料を使用するかぎり、その入手環境は社会の変化とともに変動する。青石の入手も同様だ。改めて重森の庭、日本庭園、日本文化について考えさせられる課題だ。

以上、個人庭園について記したが、学校、美術館、神社仏閣の非公開庭園についても上記と同様の問題を含んでいる。公共性の要素の多い所有者の場合は予算を獲得し維持管理を計画的にされる場合は良いが、そのようにならない庭園においては、個人住宅庭園と同様な困難さが付きまとう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると

ノブレス・オブリージュ はフランス語ではnoblesse oblige、(英語ではnobility obliges)文字通り「貴族の義務」あるいは「高貴な義務」を意味する。一般的に財産、権力、社会的地位には責任が伴う事を言う。慇懃無礼あるいは偽善的な社会的責任について蔑視的に使われる事もある。

起源
 この言葉の意味する概念自体は聖書に由来している。「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」(「ルカによる福音書」12章48節)(新共同訳)。

F.A.ケンブル(フランセス・アン・ケンブル。1809-93。イギリスの女優)が1837年に手紙に「…確かに『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族はより多くの義務を負わねばならない」と書いたのが、この言葉が使われた最初である。「ノブレス・オブリージュ」の核心は貴族を無私の行動に無理矢理駆り立てる、社会的(そしておそらく法的な)圧力である。