龍山庵跡(夢窓国師ゆかりの地)  栖雲寺(せいうんじ)の裏側
山梨県山梨市下柚木  電話:0553-33-6495
  龍山庵における逸話を「国師の風光」中村文峰氏(現南禅寺管長)から引用させていただく(47P)。

  応長元年(1311)、師37歳のときである。浄居寺より30里の彼方、人烟遠く離れたところに龍山庵を建てられた。すると、それを聞きおよんだ多くの雲水が集まり、競うように龍山庵近くに庵を建てた。
  次の年の春二月、野焼の火が龍山庵に迫った。師は仏国国師より賜った法衣のみを持って山上の巌の上に座した。そのときにわかに猛風が起こって火をさかしまに吹きやったため庵は類焼を免れた。一同は口々に師の放力だと言ったが、師は落ち着いて言われた。
「風向きが変わるのは山間では常にあることだ。自分の力ではない」
  このように龍山庵は、師の隠栖の志に反して、山中に雲水が集まり集落を作ってしまった。雲水が集まるのは龍山庵の名の由来となった龍山和尚の家風に合わないと言うので、師は雪中、山を下って浄居寺に帰ってしまわれた。
  次の年、正和二年(1313)には、留守になった龍山庵を僧寮に施し、浄居寺に仮住まいしながら、どこか閑居に適したところはないかと思案された。

  私は坐禅石に付いて興味を持っているため、上記の国師が座した巌が気になり、南禅寺に中村管長を訪ねた。管長は懇切丁寧にいろいろな事を教えていただきました。このような経過で2005年4月16日龍山庵を訪ねた。しかし田舎道で細い道がいたるところで分岐しているため書いていただいた地図では分からず、途方にくれていたとき、地元におられる武川山に同行していただくこととなった。感謝!
  先ずは、遠慮しながらも(早朝6時ころ)栖雲寺のご住職に大体の方向をお尋ねし、自動車から降りて山道を上った。そこには村落を一望できる山裾にに大きな巌がゴロゴロしていた。ここに違いない、との気持ちを抑えよく見ると。形の良い巌がしっかりと鎮座していた。あーこのために、西宮から着たのだと実感した。
備考)
川瀬一馬氏の著した「禅と庭園」には西沢渓谷辺りではないかと記してある(147頁)。確かに年譜では「幽僻にして人煙を遠く離るること30里」となっているので、私も不可解に感じていた。今後の研究課題だ。

▲栖雲寺付近からおおよその予想をして撮影

▲迷った末たどり着いた聖地。将に「巌の上に座した」と言えるではないか

▲巌から見る村落

▲龍山庵跡の碑