三渓園  自然景観式総合園  明治時代
横浜市中央区本牧三之谷58−1  電話:045-621-0634
  三渓園は、生糸貿易で在をなした横浜の実業家 原 三渓の元邸宅。彼は、ここに京都や鎌倉の歴史的に価値の高い建築物を移築し、1906年に三渓園として一般に公開した。園内には10棟の重要文化財を含む17棟の古建築や石像美術は内苑、外苑合わせると56個もある。広大な園内は四季折々の花が咲き寛いだ時間を過ごすことが出来る。

▲当園のシンボル的存在の旧燈明寺三重搭と茶寮

▲出島の涵花亭と観心橋

▲内苑の御門〔重文:京都東山の西方寺の薬医門(1708年建築)と白雲亭の塀

▲雁行する臨春閣(重文:紀州徳川家が紀ノ川沿いに建てた数奇屋風書院造り1648年)

▲左側は亭舎、中央は聴秋閣(重文:京都二条城にあった徳川家光と春日の局ゆかりの楼閣)

▲三渓園といわれるだけあって渓流が多い

▲深い森から出でる渓流

▲月下殿(重文:家康時代の大名控え所の建物、1603年建設)

▲天寿庵(重文:鎌倉建長寺付近の心平寺跡にあった禅宗様式の地蔵堂、1651年建築)

▲聴秋閣(重文:京都二条城にあった徳川家光と春日の局ゆかりの楼閣、1623年建築)

▲旧天瑞寺寿搭覆屋(重文:秀吉が、京都大徳寺に母の長寿を祝って立てた。1591年)

▲旧矢箆原(やのはら)家住宅(重文:飛騨白川郷にあった庄屋の建物、ダムの建設に伴い移築)

▲旧東慶寺仏殿(重文:鎌倉東慶寺似合った禅宗様建物、1634年建築)

▲旧燈明寺本堂(重文:三重の搭と同じ京都東明寺から移築、室町時代初期建築)