4借景庭園(古典庭園と重森庭園) 4・1古庭園についての例 一方現在は借景庭園であることを目視で確認はできないが、龍安寺(『都林泉名所図会』下巻118,126頁 講談社学術文庫)が最も有名であるが、大徳寺方丈東庭が比叡山を借景としていたことは『都林泉名所図会』上巻39頁に示されている。このほか真珠庵東庭や酬恩庵東庭、城福寺(越前市)、大通寺の含山軒(長浜市)、頼久寺(総社市)は、いずれも背後に神南備山を頂いている。これらの借景を頂いている庭園は抽象平庭式の枯山水である。このことは背景に大自然の野山がある場合は、庭園には築山による野山があったのでは、庭園の造形が貧弱に見えてしまう、そのために作者は抽象的な造形を模索することになるのである。つまり借景を取り込んだ庭は高度な抽象庭園を作ることになるのであろう。 |
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円通寺と比叡山(本来は生垣背後の雑木林はなかったが、最近は新たなマンションを隠す為に茂らせた) |
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正伝寺と比叡山 |
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頼久寺と愛宕山 |
城福寺と神南備山 |
大通寺の伊吹山 |
4・2重森の借景論と借景庭園 2・1借景論 |
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先月から…………山の形や、山と山との接続がどんなになっているかを、自分の作品の庭の上に表現するために、あかず眺める癖がある。おかげで、先日も丹後網野の作庭に行っている時、急に四国の志度寺に行く急用が出来て、播但線に乗ったところ、和田山の次の竹田駅を過ぎたところ、荷物自動車と汽車の衝突で、約一時間ばかり汽車が止まったために、山上に高く見られる竹田城の石垣の美しいのが長く見られて嬉しかった。これまで、山上の城で美しいと思ったのは、山口線の津和野城の石垣だと思っていた。山上に高く近代感覚を思わせる城の石垣の美しい構成が、ともかく文句なしに美しいので、あそこを通る度に見て通ったが、竹田城の石垣を見るに及んで、これ又、更に一層美しいものだと思った。自然の美しい高山の上に、自然とはまるで正反対な、人間の作った一つの構成美が置かれる時、山全体を含めた一つの大きな芸術が構成されて来ることを高く評価せざるを得なかった。芸術はやはり自然と非自然との接続による構成の場合のみ、何か一層大きな美が出現することを識るのである。………。 於福山桑田邸(昭和34年8月1日) |
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西谷家(岡山県吉備中央町)昭和4年(33歳) 最初期の庭であるが、崖の上にある、奥行きの少ない地形を生かした借景の庭である。立石の石組みは竹垣沿いの一列のみにして、手前には小さな臥せ石を中心にして奥行きを得ている。竹垣を低くして背景の郷里の美しい野山を取り込んでいる。 |
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小倉家(岡山県吉備中央町)昭和26年(55歳) 造形性の強い庭であるが、焼き板の板塀により背後の自然と混交することなく、互いの美しさを高めている。 |
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織田家(愛媛県西条市)昭32(61歳) 単なる借景庭園ではなく、背後の石鎚連山を象徴した巨石による石組み。 |
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興禅寺(長野県木曽町)昭38年 大自然の雲を背景にすることにより、人工造形の雲海の美がより際立って見える |
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同上 大自然の背景を入れないで、人工造形のみを撮影した場合は、庭園は無機的な表情になることが解る |
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北野美術館(長野市)昭和40年(69歳) 背後の山並みを象徴するように三重の野筋を造形に取り入れた。 |