竹中家庭園  一般家庭における重森の庭(昭和45年・74歳)
京都市北区下鴨北茶ノ木町  非公開
  重森の晩年はずいぶん忙しく創作活動をした。その中にあって、当家の庭園のような一般市民(とはいってもお宅は高名な先生による設計仕様であるが)でも日本庭園を所有できることを示している。私は重森の庭を所有しているお宅をずいぶんお邪魔した。その中にあって当家は異色の存在である。奥様にお伺いしたところによると、ご主人が教会関係の建設に関わったときに高名な先生との出会いがあり、その関係で自宅も建設された。庭園を作りたいとの意思を設計士の先生に申し上げてところ、重森先生を紹介された、とのことである。
庭園
  庭園は駐車場と居間の間にあり約5m×7m位である。坪庭といったところであるが、周囲を鞍馬石による敷石がされ、その中には白砂があり、そこには蓬莱山が浮かんでいる。島の中には徳島の青石が五石ある。青石といっても角の無い穏やかな石である。その際には松と白椿が植えられている。隣との境の垣根は重森が「竹中」をデザイン化している。日本庭園は神社仏閣や豪邸にのみあるものではない。10坪足らずの場所にも施主が望めば実現する、との見本である。重森の偉さはその辺りを心得ている。
小規模ながら全てが含まれている
・苔が張られた神仙蓬莱山、
・白砂による大海模様
・阿波の青石による立石、鞍馬の錆のある踏石と敷石
・デザイン化された汀模様
・重森の筆による「竹中」のサイン

▲居間から汀模様の敷石と蓬莱山を望む(格子の背後は駐車場)

▲駐車場側から居間を望む

▲「竹中」の「竹」がデザインされている

▲「竹中」の中」がデザインされている

▲阿波の青石


▲庭園の周囲には汀模様の敷石が巡っている

▲敷石のデザイン

▲鞍馬の踏石

▲駐車場から庭園を望む