田茂井家の庭 浦島伝説に基づいて  重森三玲円熟の庭(昭和45年 重森74歳)
京都府京丹後市網野町浅茂川112 電話:0772-72-0307 拝観は何時でもよくバスの駐車場もある。 
「たゆう」ブランドの丹後ちりめんの織元で資料館もある  URL.http://www.tayuh.com/
庭園
  日本庭園には蓬莱山思想に基づいた神仙延年の庭が多くある。しかしこの庭ほどそのテーマにピッタリの庭は無いのではないか。というのはこの地には浦島太郎伝説である。それは近くに丹後松島があり、如何にも穏やかな竜宮がありそうだ。
この庭の構成を以下に列記すする。
@重森は当庭に四島を作ったが、漢の武帝が大液池に蓬莱、方丈、瀛州、壺梁の四島を作ったのに因んでいるのだろうか。 
A島の際は白い白川砂と赤い出雲砂で変化をもたせ、日本海の海岸美を表している。州浜模様のテラスと踏石は鞍馬の錆色の石を使い造形している。
B浦島とは切り離せない五本の松は重要な要素のため、丹後地方の松を探したが重森のイメージに合うものが無かったので、わざわざ高松郊外の鬼無から運んだもの。
C青石(緑泥片岩)は徳島で選び抜いたものをふんだんに使用している。雨の後などは水分を含んだ青緑色に輝き妖しい光彩を放つ。画家を志した重森の面目躍如。
D苔は重森の枯山水の重要な要素である。杉苔は美しいが育てるのが至難の業である。しかし、ご当主の田茂井氏は緻密な観察と肥料の施しにより青々と繁茂している。しかも当地は塩が飛来するし、積雪は多い、このような過酷な条件で日本一の苔と松の繁殖である。丹精込めた努力の結晶である。脱帽

E庭園観賞と切っても切り離せないのが書院である。当家においては重森が書院の設計をしているので、最高の条件である

▲重森による「蓬仙寿」

▲現代の竜宮と、いえないだろうか

▲将に竜宮への道

▲竹垣は重森のデザインをしっかり伝承している(中央が出入り口)

▲この地方特有の気象の変化「裏西」に遭遇したが、一瞬の太陽光線を浴びた青石は輝きを放つ。松も苔も美しい。このようなシャッターチャンス今後出会えるだろうか。神秘の三尊石

▲半逆光での竜宮の風景。浦島太郎は松の根元で昼寝でもしているのだろうか

▲石組、白砂、島の際の形と色の意匠、松と苔の彩り。重森ワールド

▲裏西あとの一瞬の太陽

▲州浜模様のデザインと鞍馬石の踏石
 
▲美しい曲線と自由な模様の敷石は重森そのものだ

▲玄関の格子の意匠は禅寺からのもの

▲設計図

▲海鼠(なまこ)壁

▲浦島伝説の原点:丹後松原の白浜と荒磯

▲蓬莱、方丈、瀛州、壺梁の四島ともいえる

▲網野にある島児神社