ヒルデスハイム 世界遺産
大聖堂
 
大聖堂は旧聖堂を改築する形で司教ベンヴァルトにより1061年に建設されたここは有名な「千歳のバラの木」がある。伝承によればルートヴィッヒ1世(敬虔王)〔カール大帝の息子で西ローマ皇帝在位814〜840年〕がアーヘンの宮廷から王領であるこの地に狩に来た。帰ってから十字架のペンダントをを落としたことに気が付いた。家来に探しに生かせたところ、雪景色の中に青々と一本のバラの木があった。よくく見ると野ばらに十字架のペンダントが懸かっていた。この奇跡に王は心を打たれそこに聖堂を建てた。また、第二次世界大戦のにより聖堂は廃墟になったが、この白いバラは健気にも白い花を咲かせたそうである。まさに「国敗れて山河あり」だ。
聖ミヒャエル聖堂
  司教ベンヴァルトは聖ミヒャエル聖堂を設計する祭に「すべてはそれに似つかわしい寸法で」をモットーとした。身廊と翼廊が交わる正方形を一単位(9m×9m)とすると、身廊は3単位(27m×9m)とし、翼廊は一単位、内陣は一単位に半円を付けた形にした。つまり均整の取れたデザインにするために幾何学的理論を持ち込んだ。よって身廊はむやみに長かったり翼蝋が短かったりしなかった。その他「ニーダーザクセンの支柱交代」や「バンヴェルトのクッション」、彩石を使用するなど斬新なアイディア―で一杯だ。それ故、構成の教会建築の見本となった。

▲大聖堂入り口

▲大聖堂はロマネスク様式

▲千年のバラの伝承
  人々はこのバラの前にくると一様に黙り込んでしまう。ドイツ人の思い入れが想像できる風景だ。
  私は今回のドイツ旅行で気になっていたことの一つは、バラが散ってしまってはいないだろうか、またはドイツの北に位置してるのでまだ蕾みではないか、との心配であった。しかし回廊の中に行ってみると可憐な野ばらが咲き誇っていた。

▲千年のバラの伝説を我が子に説明

▲回廊

▲キリストの生涯  一本の柱として鋳造
  初期ロマネスク彫刻の傑作

▲ベンヴァルトの扉 4.7mの青銅製の扉


▲聖ミヒャエル聖堂の外観  市内のはずれにある低い丘の上に建っていた。
  一般的な教会建築の構造はラテン十字形(十字架の形)をしているが、当教会はヴァンベルトの全く斬新なアイディアにより東西に内陣と翼廊がある(カタカナのキの字の形)をしている。

▲華麗なロマネスク聖堂 列柱は円柱と角柱が交互に並んでいてリズム感を当てえているて、いわゆる「ニーダ―ザクセンの支柱交代」だ。また アーチには赤と白の石が使われていたりで変化に富んでいる。

▲天井画は「エッサイの樹」でエッサイに始まり、ダビテ、ソロモン最後にはにキリストの系譜が描かれている。製作されたのは1200年頃1300枚の木版をはってその上に描かれた)。なお、第二次世界大戦時には爆撃がひどくなってきたため、解体し外に持ち出されたため無事であった。しかし聖堂は他の都市と同様に徹底的な破壊を受けた。

▲翼廊を見ているとローマ建築のようだ
 
  このような構造をドイツの各聖堂で見かけるが原点は聖ミヒャエル聖堂であろうか

▲エッサイの樹

▲三層構造の翼廊  その後シュパイア―などの大聖堂にも採用された

▲キャピタルは「ベンヴァルトのクッション」と言われる

▲クリプト(地下祭室)にはベンヴァルトガ眠っている

▲マルクト広場には古いホテルが並んでいる
ホテルの Le Meridenより撮影、アクセスは
info@meridien-hildesheim.com

▲広場のカフェー(中央が宿泊ホテル)

▲ホテルより隣のホテル兼レストラン
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