ケルン
@大聖堂(1320年内陣完成、1560〜1842年工事中止、1880年完了)
Aグロス.ザンクト・マーティン聖堂
Bザンクト・マリア・イム・カピトール聖堂(1065年)
Cザンクト・パンタレオン聖堂(965〜980年)
Dザンクト・アポステルン聖堂(1192年再建)
Eローマ・ゲルマン博物館
ケルン大聖堂の歴史
@ケルンに最初の大聖堂が出来たのは9世紀後半。1164年には聖遺物を納められ、多くの巡礼者が集まる。
A幾多の改築の末、1200年頃二重内陣式の初期ロマネスク様式が完成。しかし、この頃石造の大聖堂を望む機運が高まった。
B1248年、石造のゴシック様式の聖堂への改築が決定した矢先に焼失。
C直ちに大規模なゴシック様式の聖堂が建設開始した。見本はフランスのアミアン大聖堂で、それを凌駕する規模である。1320年には内陣が完成したが、ケルン承認の没落とともに工事は滞り、1560年には完全にストップしてしまった。
D1560〜1842年工事は完全にストップ。
E19世紀初頭よりズルピツ・ボワスレーは大聖堂の工事再建を訴えていた。それに触発されてゲーテは「ドイツ建築について」の著書の中でゴシック建築にこそドイツ精神の発露であると、記した。またナポレオン1世からの解放戦争(1813〜15年)によりドイツ人としてのナショナリズムが勃興した。ケルン大聖堂の完成を持って開放戦争の記念碑にすることになった。
F1842年から工事は再開された。1854年プロイセン国王フリードリッヒ、ヴィルヘルム4世を迎え「大聖堂建築祭」が催された。工事は1880年に完成。
G第二次世界大戦二より大きな被害を被ったが、再建された。

ケルン(ドイツ)のロマネスク様式の聖堂

  ケルンといえば大聖堂と相場が決まっているかのようだ。しかし、駅前のインフォーメーションで購入した本によると、ここに記した4つの聖堂のほかに8つものロマネスク様式の聖堂がある。
  一般的にはロマネスクといえばフランス、スペインと相場が決まってしまっている。確かにスペインは巡礼の道でもあるので各種の本にも記載されている。しかしドイツに関しては聖堂に関する単行本にはお目にかかっていない。小学館や講談社の美術全集で一部が記載されているだけである。
  今回始めてドイツの聖堂巡りをしたが、いたるところにロマネスク様式や、プレロマネスク様式の聖堂があるのには驚いた。
  但し第二次世界大戦で大半の聖堂は灰燼に帰してしまった。しかしドイツ国民は民族のアイデンティーを確認するためにその大半を修復した。どこの聖堂に行っても破壊してしまった、愚かさを記憶に留めるために、破壊状況を示すパネルが展示されている。

▲ケルン大聖堂(右側)とグロス.ザンクト・マーティン聖堂(早朝ライン川の橋より)

▲ホテルの壁に掛かっていたエッチングでかつてのケルンが塔の町であることが解る

▲ケルン大聖堂
  ケルン大聖堂は1248年の火災後に全面的のゴシック様式で再建された。アミアン大聖堂を範とするが、規模はそれをしのいだ。双塔の高さ157m、全長145m、幅90m
  
▲高い天井              ▲明るく開放された壁     ▲石の森

▲中央のティンパヌム

▲眠らぬライン川

Aグロス.ザンクト・マーティン聖堂

▲朝日に輝く

▲グロス.ザンクト・マーティン聖堂

Bザンクト・マリア・イム・カピトール聖堂 
 三弁型プランで後述のザンクト・アポステルン聖堂と同様

▲回廊

▲回廊の意匠

▲回廊
 
▲天井は木造の平天井でロマネスク様式。ローマ式の円柱は古式な様式を踏襲


▲壁構造の柱

Cザンクト・パンタレオン聖堂は数少ない「西構え」の例

▲ザンクト・パンタレオンの塔
  中心部から約15分掛かるが静かな公園の中にありゆっくり観賞したい

▲西構えを望む

▲古式なスタイル
 
▲ザンクト・パンタレオン聖堂の天井は平天井、柱も壁状で古式なスタイル

▲Dザンクト・アポステルン聖堂(1192年再建)
  この聖堂の起源は9世紀の礼拝堂である。その後1020年に聖堂が建てられた。その後火災に遭い、1192年に再建され、1219年頃内陣が完成した。年代的にはやや新しいが内容的にはドイツロマネスク様式の特色を示している。上記Bザンクト・マリア・イム・カピトール聖堂(1065年)を手本とし、翼廊が主祭室と同様に丸く張り出している。いわゆる三弁型聖堂だ。半円形のアーケードが2層に外壁を取り巻いている。

▲天井は横断アーチ、四分ボールと構造のゴシック様式になっている
 
▲尖塔の屋根の形が特徴ある。  ▲高窓は小さくロマネスク様式だ
 
Eローマ・ゲルマン博物館(ケルン大聖堂の横)
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