クヴェトリンブルクとゲルンローデ
@クヴェトリンブルク(世界遺産に1994年登録)
  この街は現在木組みの街として世界的に有名である。10世紀以来王都ととして順調に発展してきたが、15世紀になると街を支配したザクセン選帝候が石造建築の建設を禁止した。街が発展して独立するのを恐れたからである。そのため14世紀以来の木組みの街並みが化石状態で残されることになった。さらにまた、今世紀の2度にわたる戦禍から奇跡的逃れ、近代化といわれる最も手ごわい相手からも逃げることが出来た。それは、幸か不幸かこの街は東ドイツ領に属していたために住宅の改築、破壊から逃れることが出来たののではなかろうか。とにかく中世以来の建物が1200もある。それはまさにお伽の国のようだ。
  東フランク王国の国王ハインリッヒ1世は(治世919〜936年)この地での囮場で狩の最中に国王への即位を知らされた。彼は926年にここに王宮を建てた。ハインリッヒ1世の死後、王妃マティルダは王宮の横にザクセン貴族の娘たちへの教育の場として女子修道院を建設した。しかし修道院は焼失したが、その跡に聖セルヴァティウス修道院が立てられた(1129年)。地下祭室(クリプト)にはハインリッヒ1世と王妃マティルダが眠っている。
Aゲルンローデのザンクト・ツィリアクス聖堂
  959年辺境伯ゲロにより創建された。息子の妻へートヴィッヒが修道院長となり、聖キリコが守護聖人である。写真は外観しかないのは、拝観する前に教会横の広場でゆっくりと昼食を楽しんだ。さて、拝観と入り口に行ったら、どこからかのモルモン教の団体が入っていた。そのため1時間は拝観できないとのことであった。中を覗いてみると平天井で、中二階はローマ風のアーチや柱が並んでいた。明らかにロ真似すく様式の教会で、すごく変化にとんだ構造であったが、内部の拝観を断念して、クヴェトリンブルクへと車を走らせた。この修道院は宗教改革で放棄され、建物も崩壊寸前であった。しかし19世紀になってオットー朝の基本建築として歴史的重要性が認識され、復元された。
 
▲聖セルヴァティウス教会はロマネスク様式              ▲剛毅な風情

▲平天井、小さな窓、柱は角柱と円柱よりなりロマネスク様式(入り口側より祭壇に向かって)

▲祭壇(中二階)より入り口側の前室二階のアーチを望む

▲角柱と円柱で変化をつけている

▲前室2階
 
▲身廊と翼廊の交差部                            ▲壁状柱の面影と小さな窓
 
▲小さな教会では座席が一列ごとに枡席状になっていた。      ▲キャッスルホテルの部屋より

▲マルクト広場の木組みの家(レストラン)と市庁舎

▲市庁舎は蔦に覆われている。左端は中世騎士のローランの像

▲離れ小島の家

▲ハーフティンバー様式の家が1200件も残っていて、現代とは思えない奇跡的な風景だ

▲家並み

▲家並み

▲家並み

▲家並み

▲この地方の丘にはいたるところに風量発電がある。

▲ホテルの塔から見た雨の街並み Schlosshotel Zum
www.schlosshotel-zum-markgrafen.de

▲東側翼廊絡みた聖堂

▲西側の階段塔

▲東側祭室

▲南側よりの全景(絵葉書より)
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