ロルシュ 貴重なカロリン朝時代の遺産
  800年に西ローマ帝国の皇帝として戴冠したカール大帝は、何事もローマ時代の再現を望んだ。ローマ時代の典礼の採用、古代キリスト教バシリカの再現など。これは東ローマ帝国のビザンチンに引けを取らないようにし、政治的にも宗教的にも東ローマ帝国からの独立をはかった。カロリング王朝時代の遺跡は僅かであり、アーヘンの大聖堂とともに大変貴重な文化遺産である。
ロルシュ修道院の歴史
@764年オーバーラインがウ伯カンコールが領地を寄進し、メッスの司教クロデカンがロートリンゲン地方のゴルツエ修道院の修道士を派遣し、修道院を建設させた。
A765年メッスからローマの殉教者聖ナザリウスの遺骨がもたらされた。巡礼者を集めるようになった。
B772年修道院はフランク王国の保護下に置かれた。774年にはカール大帝臨席のもと、マインツ大司教によって修道院聖堂の献堂式が執り行われた。
Cカール大帝の寄進に倣って、他の貴族もこぞって寄進し、その数は2000件以上になった。
D830年には蔵書が600冊の写本を有するようになり、東フランク王国で最大の蔵書を誇るようになっていた。中でも有名なのが「ロルシュの福音本」の写しである。
E843年にフランク王国は分割されたが、カールの孫のルートヴィッヒはここに王家の墓廟を造営し、その息子ルートヴィッヒ3世は地価祭室を造営した。「王の門」はこの頃の建設と思われる。
F1090年に火災に遭い、12世紀に再建されたが(現在残るのは身廊の一部のみ)、1232年にマインツ選帝候の支配下に置かれ、勢力を失った。
G1557年修道院は閉鎖され、30年戦争でスペイン軍によって火を放たれ、採石場と化した。
H1991年世界遺産の登録

アクセス:ヴォルムスから東へ約10km。ヴォルムスから電車約25分。1時間に1〜2本。

▲ロルシュ修道院楼門東側外観  左右にある円筒状構造物は螺旋階段

▲楼門西側外観

▲四角形と六角形による赤と白の砂岩による模様

▲ローマ時代の雰囲気を留める外壁意匠

▲ロマネスクとは異なる意匠

▲12世紀に再建された聖堂の中央身廊の一部

▲聖堂から楼門を望む

▲聖堂内にある柱頭

▲修道院楼門前にて

▲広場にある憩いのモニュメント  井戸の形をした水道から水が流れ出している
   総合TOP  ヨーロッパ紀行TOP 日本庭園TOP