訪問した街と聖堂 フォントネー修道院(ユネスコの世界遺産に登録)
特徴 働くことの価値を認めたシトー派修道院
 修道院とはキリストの教えを守るべく「清貧、貞節、服従」の誓いのもとに集まった共同体組織をいう。 初めはキリスト教公認以前は人里はなれた砂漠や、森で個人的に修行していて苦行者、隠者と言われた。しかし次第に集団で住むようになり、カイロの近くに最初の聖アントニウス修道院ができた。ヨーロッパでは515年ころ有名なモンテ・カッシーノ修道院を聖ベネディクトゥスがつくり、以後の修道院の基礎を確立した。以後修道院は発展すると土地の寄進などを受け、世俗権力と結びつき堕落が始まった。修道院改革で華々しく躍り出てきたのがアキテーヌ公ギレルムスで彼は910年にクリュニー修道院を創設した。新たな宗教改革は支持され、12世紀初頭には1450もの修道院ができた。特に1147年に完成した第三教会堂は長さ177m、幅28m、高さ30mにもなりヨーロッパ最大の建築物になった。しかし、修道院が強力な諸侯なみの大土地を所有するとやはり堕落が始まり形式的な典礼が主体になってきた。そこで登場したのが新たな改革の旗手シトー派修道院だ。創設者はロベール1098年荒涼の地シトーに簡素な修道院を建てた。1112聖ベルナルドルスがシトーに入会するにおよんで、聖ベネディクトゥスの戒律をモットーとし、さらに労働と瞑想を重んじた。彼はその後ヨーロッパの精神世界のリーダーとなった。労働を重んじたことから、各種技術開発の発信地になり、ヨーロッパ躍進に計り知れない影響を与えた
 
▲祈りの場には奇怪な怪獣、豪華な装飾などは一切ない    ▲入り口にある門番

▲回廊は修道院の瞑想の場として最も聖なる空間。この写真を見て是非とも拝観したくなった記念のアングル
この修道院は奇跡的に生き残っているモニュメントだ。シトー派もその後厳格な精神を失い、フランス革命の影響も受け大半の修道院が消滅したが我々はその原点を示すフォントネー修道院をパリから約1時間で目の当たりにできる。私事であるが、この修道院を拝観してから決定的にロマネスク教会、なかんずくシトー派修道院を愛するようになった。写真はキリがないほど記載したいのですが、下手な写真で皆さんの目を汚すよりは、フランスへ行かれるときは是非とも訪ねて欲しい場所である。シャルトルの大聖堂とともに。


▲チャプター

▲鍛冶工場で開墾、農耕に必要な道具を作った

▲大寝室 修道士はここで着の身着のまま藁のベットで ▲彩色されたものはない

▲回廊柱頭の簡素なこと                  ▲簡素で美しい
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