訪問した街と聖堂 ル・トローネ修道院(ユネスコ世界遺産に登録)
特徴 働くことの価値認めたシトー派修道院
シトー派修道院の建設時期
  フォントネ修道院  :11391149
  ル・トロネ修道院  :
11601175
  セナンク修道院   :
11601230
  シルヴァカーヌ修道院:
11751230
 このころ北フランスではすでにゴシック様式の建築が始まっていたが、南フランスの修道院は時流の抗するがごとく、聖ベルナルドルスの意思に従って建設された。
修道院の場所は何よりも人里離れたところと、水の便が求められた。シトー派の祖聖ベルナルドウスは、森に囲まれた谷間や、心地よい平原や小川をつねに愛し、修道院の祖聖ベネディクトゥスは、小高い丘や、見渡す限り視野の広がる高いところを好んだ、といわれている。
ル・トロネ修道院
 簡素な概観、西正面には装飾はおろか中央入口もない。それは一般人を対象にしたのもではなく、真に神との対話を求める人たちの場だからである。
参考
@フェルナン・プイヨン、荒木訳
「粗い石」 文和書房 S54
A磯崎新+篠山紀信 建築行脚6  「中世の光と石」六耀社
Bアクセス:国鉄のトゥーロン〜ニース間にレザルク・シュル・アルジャン駅より20Km。タクシーは再度くる。
 修道院はアベイ、クロイスター、クロワトール、モナストリー、プライオリーなどと呼ばれている。クロイスター、クロワトールは回廊であるが、修道院においては回廊がいかに重要な場であることがわかる。  

労働の意味

全ての修道会が労働の意味を説いていたわけではないだろうが少なくともシトー会においてはその価値を認めていた。パウロは乏しい浄財に頼ることなく、テントヲ作る食にでもあった。またアウグスティヌスはカルタゴの放浪修道士に対してただ祈るだけの偽善的生活を改めるよう訓戒している。
このことは非常に重要なことなので参考文献を紹介する。
    今野国雄「修道院 −祈り・禁欲・労働の源流ー」岩波新書


修道院の一日
  祈りは7回で、全員が聖堂に集まって詩篇や聖歌を歌う。この聖務の合間は手仕事と霊的読書、食事で占められている。中世の時間はすべて太陽によって決まっている、日の出、日没、明け方、夕暮、真夜中頃、といった具合。食事は一日2回、「戒律」によれば第39章に食物の分量、第40章に飲料の分量、第41章に食事の時間についての規定がある。まずパンは300g、料理は2品(小麦粉か野菜)ぶどう酒は750CC。なお、四足獣の肉は絶対食べてはならない、ただし病人は良い。シャワーは1ヶ月に1回、就寝は共同の大寝室で藁の布団に着の身着のままで寝る。
 これを見ると曹洞宗の道元による戒律とほとんど同じではないかと思う。しかし重要なことが違っている。それは労働である。シトー派修道院は手仕事に従事した。このことが近代科学の元になる12世紀のルネッサンスに重要な役割を果たしたのではないかと思う。当時の農民は食うや食わずの生活なので、水車の利用、製鉄、馬による牽引、大森林の開墾、三圃制農業などのシステムは到底思いつかない。複数の技術集団が継続的に探求しなければできないことだ。修道院の数はフランスのみでもクリュニュー派、シトー派で計2000を超えただろう。この時期にヨーロッパは一気に膨張する。(資料参照)

▲西側正面を望む。中央入り口がなく、壁面に装飾は一切ない

▲先頭形のボールと

◆回廊の造形は雄渾そのもの、光と影の織り成す回 廊で巡回しながらの読書

▲傾斜地の回廊

装飾は一切拒否されている、修道士が刻んだ粗い石のみ

▲大寝室の藁のベットで寝る。奥に見える階段は回廊、聖堂 の開口部。機能のみ

▲総会室は読書、注釈、宣誓などの場
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