地名:フィリピ
 フィリピは現在廃墟になっている。この遺跡の中をエグナティア街道が通っている。この街道はローマからビザンティウムへ通じる街道だ。この街の発展はマケドニア王国のフィリポスU世時代に軍事上、交易上重要性が認められ支配下に入り発展した。またパンゲウス山から金が採掘されマケドニア王国の繁栄を支え、しいてはアレキサンダー大王の東方遠征の夢を支えた。
 この街にはほとんど観光客は来ないが、この街の港町カヴァラとともに訪ね聖書を紐解いてみたい。

▲ポピーが生い茂るフィリピの遺跡

▲ベーマ(写真左)に立って演説

▲キリスト教時代のバシリカ跡

▲ヘレニズム時代に造営された円形劇場
 この広大な遺跡を訪ねてもほとんど人影を見かけない。パウロが囚われたと言われる牢は街道のすぐ上にあった。街道を渡ると一面にローマ時代やヘレニズム時代の建物跡が無造作に広がっている。その巨石の間には真っ赤なポピーが咲き心を和ましてくれる。
 ベーマの前に立つとパウロがヨーロッパ大陸での第一声は何を演説したのだろうかと思いめぐらした。
 ここから約2キロにパウロが始めて洗礼をした、と言われているガンギス川と教会がある。このほとりでバビロンの幽囚の詩篇が思い起こされた。しばらくすると黒装束のギリシャ正教の僧が川のほとりに来て長時間聖書を読んでいた。

▲パウロの囚われた牢

ガンギス川で始めてリディアに洗礼

ガンギス川ほとりの教会
パウロ宣教の旅 フィリピ
 ヨーロッパで始めての宣教の地フィリピは記念すべきことが多かった。先ずは紫の布を商うリディアが信者になり、パウロはヨーロッパで始めての洗礼を施した。彼女はパウロの宣教を助け自宅を開放し、彼女の家はいわゆる「家庭教会」になった。パウロはユダヤ人を改心させるより信仰の篤い異邦人の方が実りが多いことに気が付き、益々異邦人への宣教に熱が入ったのではないだろうか。
 次に有名なエピソードになった物語である。すなわちパウロは女占い師を排除したところ、彼女の占いで収入を得ていた主人から風紀紊乱の罪で訴えられ牢屋に入れられてしまった。ところが地震が発生したため囚人たちが全員逃亡した、と早合点して自殺しようとした看守をパウロは押しとどめ、自分はローマの市民権があり何の罪も犯していないから逃亡する必要がない、と説明した。これを契機として看守一家が信者になった。このエピソードが語っていることはパウロがローマの市民権を有していることが宣教に大いに役立ったことだ。手紙で知れることは初めは辱めにあったりで苦労したがフィリピの信仰の篤い人々のお陰で、以後の宣教がしやすくなった。パウロは逆境の中でパウロを信じてくれた人々に感謝をし、いとおしんでいる。有名な詩篇(離散ユダヤ人が故郷を思って歌った)を参考までに記載したがガンギス川での初めての洗礼でパウロは何を思ったであろうか。


使徒言行録
16:11〜15 フィリピにて 
わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。


使徒 16.16〜40 パウロたち投獄される
わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。朝になると、高官たちは下役たちを差し向けて、「あの者どもを釈放せよ」と言わせた。それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した。

テサロニケの信徒への手紙 一 2:2
無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。
フィリピの信徒への手紙 4.15〜16
フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。 また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。

詩篇 137:1〜9
バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。
竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
わたしたちを捕囚にした民が/歌をうたえと言うから/わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして/「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。
どうして歌うことができようか/主のための歌を、異教の地で。
エルサレムよ/もしも、わたしがあなたを忘れるなら/わたしの右手はなえるがよい。
わたしの舌は上顎にはり付くがよい/もしも、あなたを思わぬときがあるなら/もしも、エルサレムを/わたしの最大の喜びとしないなら。
主よ、覚えていてください/エドムの子らを/エルサレムのあの日を/彼らがこう言ったのを/「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」
娘バビロンよ、破壊者よ/いかに幸いなことか/お前がわたしたちにした仕打ちを/お前に仕返す者
お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。

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