フィレンツェ
  ルネッサンスの象徴的建造物はフィレンツェのドォーモである。この建設についてはドラマがある。礼拝堂の門扉のコンペ(1401年)で一敗地にまみれたブルネレスキはローマに行きアルベルティーと知り合いローマ時代の「建築書」を学んだり、パンテオンの構造を研究した。1418年この聖堂のクーポラの建設方法のコンペが行われブルネレスキは優勝する。しかしあまりに斬新な方法のため工事は頓挫してしまい、新たにライバルのギベルティーが共同責任者になってしまう。しかしその後ギベルティーが建築では無能であることがが分かり、1426年からブルネレスキーの指揮で完成させる。
  この様な物語はミケランジェロとレオナルド、ミケランジェロとブラマンテ、ベルニーニとボッロミーニ、運慶と快慶などあるが何れも、よき好敵手があってこそ成長したと思われる。

▲中央はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)と右端がヴェッキオ宮殿
ホテル・トル・ディ・ベロズワルドからの眺め。伯爵家のヴィラをホテルに改装したもの、全16室

▲サン・ジョバンニ礼拝堂は緑と白の大理石で彩られている  ▲礼拝堂天井のモザイク
この礼拝堂の門扉のコンペではギベルティーがブルネレスキに勝つ

▲サン・ロレンツォ聖堂(ファサードは未完)            ▲メディチ家礼拝堂(ミケランジェロ) 
トータルプランと旧聖具室はブルネレスキがメディチ家礼拝堂(新聖具室)はミケランジェロが担当。但しミケランジェロが心血を注いだファサード(建築と彫刻を一体とした)は1520年突然中止された。  

▲パラッツォ・メディチ              ▲シニョーリア広場のコジモT世の騎馬像

▲サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)の円蓋頂上よりの眺め、ヴェッキオ宮殿も

▲ポンテ・ヴェッキオ(1345年)                      ▲物憂げな「ヴィーナスの誕生」

▲あれいいなー                         ▲食べながら

▲果物屋で                             ▲修学旅行   
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