世界で一番美しい広場の街シエナ
  中世において、この広場の美しさがいかに当局及び市民たちの関心の的であったかは、1309〜10年の「都市条例」にある、次の言葉が雄弁に語っている。―「都市を統治する者が関心を向けるべき物事の中では、その美が最も重要である。心地よい都市の、大切なもろもろの美のうちのひとつには市民と外国人の喜びと嬉しさのために設けるべき広場がある」。
  広場周辺の宮殿や私邸の建築条例適用は綿密にして厳格で、高さや幅、屋根・窓・扉のかたち、あるいは素材が制限され、視聴者や広場自体とのバランスが要求された。特に1297年には広場に面する建物の窓は全て小円柱付きの二連窓ない三連窓にし、バルコニーはつけないように通達が出された。(シエナ―夢見るゴシック都市 池上俊一 中公新書56Pより)
 
  広場を研究課題にする人は必ずここにやってくる…………現在の都市のように一直線の道路や路地からは、どんなに空地を取ったところで公園にもならなければ広場にもなりえない。人の流れをあたかも車の流れのようにしてしまい、道路は道路、公園は公園と、しっかり区分けしてしまった。「歩く」ことから楽しみを取ってしまった結果、道路と公園の一体感がなくなってしまい、人の目の届かない位置に設定した公園や広場は、逆に危険な場所と化してしまった。イタリアの広場は、中世その時代には、集会場としての役目をにない、馬やロバを止める広場としての目的であったり、市場を開いたり、音楽会を開いたり、人と人の親睦を図ることの出来る多目的な要素を含んでいた。
(イタリアの山岳都市 98P 武内祐二 彰国社より)

▲マンジャの塔(102m)から街を望む、中世がぎっしりと詰まっている
 
▲ブッブリコ宮殿、13〜14世紀に建築        ▲大理石の縞模様が印象的なドオウーモ
 
▲広場は扇形になり要のところに排水する     ▲世界中から中世を求めて
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