阿波国分寺跡 桃山時代 枯山水・池泉鑑賞式 |
徳島市国分町 (現在は庭園を修復中かもしれないので、参拝は予め確認を要する) |
くぐり戸から入った瞬間、我々は言葉を失った。まるで台風が総てのものをなぎ倒したような殺伐たる風景があった。3m前後の緑石がぎっしりと積み込まれているこの庭園はどんな天才作家が作ったのか、どのような気持ちで、どのように神がかったのか、またこんなエネルギッシュな時代が日本にあったのか、頭の中は次から次へと疑問が湧きあがってくる。しばらくして興奮が収まってきたので、例によって重森先生の解説書を読んだ。そのつもりで見ると総ての石が意味をもって配置されている。いちいちそれを確認してみたが、なんとそれが無意味なことか。このように伝統に裏打ちされた芸術に触れると時間を越えて芸術の偉大さが伝わって来る。初めは入門をいぶかっていた住職も我々の感情の嵐が過ぎ去った頃を見計らって出てこられ、改めて解説をしていただいた。何でも徳島県がやっと復元工事を始めるそうであるが、願わくば、十分なる時代考証をしてから着工して欲しい。これこそ世界一の庭園と言えるのではないか。ああ今日は良い日であった 尚、当寺は全国60余州の一つとして天平時代に創建された。その後真言宗に転宗し、長曾我部の兵火(1582年)に遭ったが、この地の豪族三好氏が再建し、このとき庭園も築造された。しかし1741年に現本堂を再建した際、庭園の中心部分をを壊してしまった。 洞窟石組についてUp date 作庭記冒頭で次のように記されているが、ここで注目するのは三番目の「国々の名所・・・」である。 石を立てるに際して先ずおおよその趣意を心得ておく必要がある 一、地形により池の形に従って、よって生ずる所々に趣向をめぐらして、自然風景を思い出して、あそこはこうであった、ここはどうであったなどと、思い合わせて立てるべきである。 一、昔の名人が造って置いた有様を模範として、家主の意見を心に置いてそれに自分の風情をめぐらして立つべきである。 一、国々の名所を思いめぐらして、その面白い所々を自分の考えに取り込んで、大体の姿をその所々になぞらえ、素直に立てるべきである。 帝釈峡は岡山県と広島県の県境に近いところにある。ここの天然橋は世界的にも有名であるが、人智を超えた存在と言えまいか。当庭園のような豪快無比と言える庭にこそ相応しいと考える。 |
▲本堂東部より 左側より須弥山、洞窟、蓬莱連山 |
▲本堂西部の巨石(4mあろうか) コメントは重森三玲氏(日本庭園史大系 桃山の庭 77頁)による 本堂に上がって、左に廻ると、直ちに須弥山手法による石組みが、板石状の石によって立てられている。横と裏とに同じ板石状の巨石を傾斜させて中心石に挑みかかっている。この石組みなどを一覧すると、第一に作者が鋭い感覚によって選んだ庭石材料であることが分かる。………何人もアッと驚きの声を放つだけの剛健極まりない石組みである。これほどの石組みは、各時代の石組みの中にも見出せない。全く見る者をして圧迫感を感じさせるもどのものであり、雄勁そのものである。 |
▲本堂南東部よりの全景 |
▲本堂東部の凄まじさ |
▲本堂東北部洞窟石組 |
やや歪んだ洞窟の奥から渓流を思わせる栗石が敷かれている |
この渓流は突き当りの石の右側から落ちている。この手法は桃山時代の枯滝の手法に似ているが、 桃山時代のそれは、低い築山に組まれた三尊枯滝の前に装飾的に敷かれている。 やや類型的であるが、当庭園では自然の驚異を創造的に抽象化している。 |
帝釈峡「雄橋」上流より |
下流より |
▲本堂側から見た蓬莱連山石組みと洞窟 「………これに鋭い感覚の尖った石を立石として左右に並べてある。表のほうからはその一部が枯滝石組みとされているが、裏側では、その背景としての連山の石組みになっていて、石組みの高低が甚だリズミカルであり、前後に重ねかけた手法を駆使している関係から重厚感があり、しかも高低線が躍動しているから、まるで北宋水墨の山水画を見ているようである。………北宋山水画をよほど理解していた人に違いない。 |
▲池北西部築山石組み |
▲須弥山式石組み コメントは重森三玲氏(日本庭園史大系 桃山の庭 80頁)に勝るものなし 「これらの石組みは、立石あり、横石あり、傾斜の石あり、逃ぐる石あり、追う石あり、入り込む石あり、留める石ありといった風で、千姿万態の自由自在な技法が駆使されている。そしてしかも剛健そのものであり、雄勁そのものであり、観る者をして身動きさせぬものを持っている。驚目、只驚き入る次第であり、最敬礼という訳である。」 |
▲池南部築山石組み コメントは重森三玲氏(日本庭園史大系 桃山の庭 80頁)による 「………これらの対岸には、下部の護岸石組みを初めとして、上部にかけて三段の石組みがある。西部に近い上段の石組みは蓬莱式の石組みであって、何れも躍動的であり、横石と立石の組み合わせが自由奔放であり、剛健な手法が目に飛び込んでくる。………」 |
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