禅の庭 大徳寺(大仙院)  枯山水  室町時代
京都市北区紫野大徳寺町54−1  電話:075−491−8346
  典型的な禅寺の枯山水だ。1509年古岳宗亘(こがくそうこう)禅師が作ったといわれる。師は禅の悟りを分かりやすくするために、狭い場所に禅の庭を作った。しかしその後阿波の緑石などが寄贈され豪華に石が組まれている。竜門瀑、石橋、鶴亀蓬莱、舟石、坐禅石、沈香石、叡山石などあらゆる要素を含んだ盛りだくさんの庭となっている。
  観音石、不動石が一対で揃っている庭は大徳寺本坊と一休寺で親しまれている酬恩庵にもある。

当庭園を日本庭園史に位置付けると
  神仙蓬莱の庭(飛鳥・奈良時代)、極楽浄土の庭(平安・鎌倉時代)に比較すると、格別に小さく、自然の水が無いことが特徴である。古来人々は自然の風景を縮小した庭を好んできた。しかし、この庭は自然そのものを直接表現するのではなく、自然のエッセンスを抽出した庭である。いわゆる禅庭園だ。禅庭園といえば、夢窓国師の天龍寺や西芳寺の庭を連想するが、これらの庭は広大な敷地に、池泉を伴い草木を植え花見を楽しんだ庭である。しかし、当庭園は方丈の東北の僅かな土地に厳しく石組みされた枯山水の庭である。いわゆる禅観の境を表している。枯山水庭園の原点である。
  なお、龍安寺の枯山水庭園と比較して考えると、龍安寺は方丈の南庭を完全に抽象的な石組みの庭である。一方、当庭園は狭隘な片隅をやや高くした築山を設け、そこから滝が流れ落ちる様を表現している。いわば水墨画的に具体的な風景を抽象的な表現をしている庭といえる。

▲大きな不動石(左)、観音石、その右側から滝が流れ出し激流になってくだり、やがて大河となる

▲深山の一滴が、やがて峡谷を揺るがす轟音を轟かす激流となって流れ落ちる。人は橋を渡り深山に分けいいって、大自然に同化する。手前左の石は沈香石
 
▲石英の筋が入った石を水落石にしている    

▲鯉魚(橋の後ろにある黒い石)は激流の滝を登るさま。禅の修業の姿

▲亀島側より   各種青石が豪華に組まれている、
左端が坐禅石

▲書院の間 掛け軸の背後にある扉を開けると庭園が見える。最も古い書院建築

▲鶴島

▲亀島

▲か亭橋

▲大河を往来する船

▲沈香石と枯山水庭園                    ▲名石の不動石(左)、観音石
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