武田家の菩提寺:恵林寺 鎌倉時代 池泉回遊式 |
山梨県塩山市小屋敷2280 電話:0553−33−3011 |
二階堂貞藤が1330年夢窓国師を請じて創建、といわれている。国師は蘭渓道隆を大変崇敬しており、師は東光寺に龍門瀑の庭を作っていると言われているので当然東光寺を見ているだろう。しかし、庭園には国師の様式が少ない。また1724年この地の城主柳沢吉里が父吉保を改葬するに当たって庭園を改造しており、夢窓国師の様式が相当に失われている、と思う。 この寺を有名にしたのは、1582年(天正10年) 織田・徳川連合軍の甲斐征伐の際、恵林寺は武田の兵を匿い逃がしたとして焼討ちに遭い、時の住職 快川国師は 「安禅不必須山水、滅却心頭火自涼」 (安禅必ずしも山水を須いず。心頭を滅却すれば火も自ずから涼し) との有名な喝を残して、100人余りの僧と共に燃えさかる この三門に入っていった、による。 備考) 川瀬一馬氏の「禅と庭園」によると @恵林寺には幼少時代に世話になった「八右衛門」の恩に報いるために、「八右衛門座敷」が会ったそうである。尚徳和村には「八右衛門屋敷」が現在でもある、と記されている。 A徳和に行く少し手前に「西川邸庭園」があり、国師のゆかりの家ではないかと記されている。 B清白寺は恵林寺の創建時に親戚のためにつくり、古長禅寺は生母の菩提寺なので復興されたと記されている。 |
▲かの有名な三門 |
▲庫裏 |
▲曲がりくねった松を自在に組み合わせている |
▲築山部分は須弥山、滝があり比較的古い様式、しかし護岸、中島は全くの土木工事 |
▲直立した二本の石の間から滝が落ちる。 |
▲築山の頂上には寄せ石手法により須弥山の四方の稜線を表している |
▲恵林寺東部庭園全景 |
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