普門寺  円通寺、桂離宮に関係した玉渕の作庭
大阪府高槻市富田町4−10−10  電話:0726−94−2093(電話にて予約必要)
沿革
  普門寺は南北朝末期1390年に設厳によって開設。その後荒廃した寺を摂津管領細川晴元公、足利14代将軍義栄の居城になり普門寺城と呼ばれ、堂塔伽藍甍を連ねる大寺であった。その後龍渓宗潜が復興に努め長崎から隠元を迎えた。隠元は宇治の黄檗山に行くまでの7年半子の寺にいた。庭はこのとき玉渕によって作られた。玉渕は桂離宮の作庭にも参画し、後には円通寺の庭も作った。
庭園
  阿武山を借景に作られた枯山水庭園。構成は左奥から枯れた木が流れ出し、低く架かった橋を通り大海に注いでいる。さらに右奥にも渓谷がありそこから渓流が流れ出している。手前の石は地面から首を出した形で配置されているが、この手法は京都洛北にある円通寺のそれと同じである。阿武山を借景とする点でも円通寺と似ている。尚現在は阿武山は庭園鑑賞の位置からは見えない。尚方丈前と方丈南側にある枯山水は森蘊による作庭。

▲左奥が枯滝、中央に出島、出島と島には低い橋が架かり、右奥にも豪快な橋がある。中央には大海に浮かぶ島や岩島が浮かんでいる。

▲注意を引くのは中央にある橋は橋石が地面についていることである。ただし作庭当時の状態であるかは不明ではなかろうか。とにかく無住の荒廃した時期が長かった寺であるから、最近になって復元したものである。出島には土があったほうが自然ではなかろうか。

▲地面より1cmでも浮いていると緊張した景色になる

▲枯滝は大仙院、南宗寺と類似の構造

▲地面についている橋                  ▲渓流に架かった橋

▲隠元が書いた額「獅林」(しりん)。仏殿に掲げられていたもの。往時が偲ばれる。

▲方丈に廂に差し込む陽光。ここでお茶をいただいた。
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