本覚院   重森三玲・昭和28年の作品   上下、左右に動く庭  国登録記念物指定
和歌山県伊都郡高野山町高野山  電話:0736-56-2711
沿革
 本覚院は本来弘法大師が御自作の地蔵菩薩を安置された場所に在り、平安時代の建久年間、高名な歌人である「待宵小侍従」と呼ばれた太皇太后宮小侍従の願によって登山した行空上人が開基となっています。開創にあたっては寺伝に次の話が残されています。
それは行空上人がこの地で読経をつづけていたところ、出現した地蔵菩薩が光を放ち「汝、ここに住せよ」と告げられた、というものです。歓喜した行空上人は十二院を建立しましたが、上人が常に法華経を講じたところから「講坊」と称せられました。その後元禄年間、講坊を太皇太后宮小侍従の戒名に因み「本覚院」と改称し今日に至っております(今年2002年は太皇太后宮小侍従の没後800年にあたります)。

庭園
  重森が高野山で作った庭の7作目である。庭園が作られる予定の場所は本堂の裏に当たる回廊に囲まれた場所で、回廊の位置よりも高い場所にあった。当時は自然林が茂っていたが、重森はこの変則的な場所での作庭に意欲を燃やした。将に災い転じて福となすである。回廊を巡りながらの観賞であるから目の錯覚で左右に動くよう複雑な配置をした。更に上下にも動くかのような錯覚を覚えさすようにした。

▲二階から見た庭園。石は弧状に組まれ前の石と背後の石の組み合わせが無限に発生する。

▲中央部の石組み
  回廊を歩くに従って亀も動き出す

▲庭園の敷地は回廊に沿って斜面になっているが、その部分に栗石を所々に置き、視点が上下する

▲環状の石組み

▲側面からの視点
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