保国寺 室町時代  イサム・ノグチは重森三玲に保国寺に案内された
愛媛県西条市中野
  この寺の創建は奈良時代にさかのぼるり、1312年には足利尊氏により官寺となる。往時はかなりの規模の寺であったらしいく、相当広大な庭園があったのではないか。現在の庭園は滝と亀島が残っているので十分に観賞できる。先ず全体構成であるが湾のような形をした奥に蓬莱山と枯滝がある。そこへ向かって湾の幅一杯の亀島がが突進している。今にも陸地の蓬莱山を駆け上らんばかりである。鶴島があったなら何処にあったのであろうかとか、亀さんはなぜお尻をこちらに向けているのだろうかとかを想像するのも面白い。なお、このよう名園を地方で探し当てた時の喜びは旅の楽しみの一つだ。

 この林立する石柱群は何と快いことか。すり鉢状の地形を利用した石柱群の見事さには感嘆する。
この風景を際立たせているのは鋭利な刃物のような横石である。
 重森はこの庭を四国随一の庭であることを褒めたたえているが、重森も相当に影響を受けたと思われる。

何という景色だろうか。伊予西条の保国寺は東福寺の官長を務められた重鎮の住む寺である。
森閑とした庭園は歴史が幾重にも重層している。日本庭園の白眉、とも云える。

▲入江の枯滝に向かって亀島が駆け上がらんばかりの勢いで進んでいる。この歯切れのよい石組はどのような天才が組んだのであろうか、はたまた時代の産んだ名園と云うべきか。

▲蓬莱連山と手前の枯滝   室町時代の庭園は立石による石組みであることが分かる。さほど大きくない石であるが、立石を中心とした石組みの中に、鋭利な形の横石が、作者の非凡さを窺わせる。

▲蓬莱山に向かう亀島

蓬莱山を兼ねた枯滝を横から見た景

書院から見た景色は一変する  手前の立石は出島に立っているが景色に奥行きを与える

水平と垂直の組み合わせ
 
雨落ち石                             左記拡大  棒状敷石の原点

▲イサム・ノグチ保国寺亀島にて(越智信男氏提供)

▲保国寺(越智信男氏提供)
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